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番他32_偕楽園_111 [番外編 他スタンプ]

番他32_偕楽園_111.jpg図柄:梅と好文亭
押印日:2011.3.3
スタンプ設置場所:どこで押印したか記憶にない。

弘道館からてくてく歩いてみるとちょっと距離がありましたが、日頃の運動不足の解消と思いながら偕楽園まで向かいました。

偕楽園も弘道館同様に東日本大震災により大きな被害を受け、現在は部分的に開園してはいるものの、まだ立入り禁止区域もあります。ホームページを見ると来年の梅まつりを目標に全面開園できるように復旧工事が行なわれています。

さてパンフレットによれば「偕楽園は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公:1800〜1860)が自ら造園計画の構想を練り創設したもので、名園として名高く日本三公園の一つに数えられています」とあり、また「偕楽園の名称は、中国の古典である「孟子」の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節から取ったもの」だそうです。

偕楽園と弘道館にある梅は両方合わせると約110種、三千数百本にもなるそうで、本数もさることながら、種類が多いのに驚かされました。
その中でも花の形、香り、色などが特に優れた6品種を選び、昭和9年(1934年)に「水戸の六名木」とし、それらを観賞することができます。
ちなみにその六名木は「白難波」、「月影」、「烈公梅」、「江南所無」、「柳川しだれ」、「虎の尾」の六種になります。
残念ながら、写真は違う種類のものだったと記憶しています。
そのほとんどが、まだ3〜5分咲いていたか、いなかったかという状態だったと思います。
とにかく種類が多くて、ネームプレートを見ないとどの梅の木が何という名前の木なのかさっぱり分からない状態でした。
偕楽園の梅1.jpg

偕楽園の梅2.jpg

偕楽園の梅3.jpg

こちらは偕楽園内にある二層三階の好文亭という建物で、徳川斉昭が別邸として、また藩内の人たちと楽しむ場として建てられたものです。
空襲や落雷で2度ほど焼失しているので現在のものは復元建築ではありますが、同様に今回の震災で被害を受けて、復旧工事はおこなわれているものの現在もなお立入り禁止となっています。
好文亭.jpg

これは斉昭の創意によるものと伝えられている配膳用昇降機のシャフト部分。
好文亭ダムウェータ.jpg

最上階は楽寿楼とよばれ、千波湖を一望できます。
好文亭から千波湖を見る.jpg


隣接する千波公園を含めた偕楽園公園の広さは300haあり、都市公園としてはニューヨークのセントラルパークに次ぐ世界2位の広さだそうです。
とにかく広いんです!
全面復旧にはもう少し時間はかかると思いますが、またゆっくり梅を見にきたいですね。




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