番建46_エリスマン邸_085 [番外編 建物スタンプ]
図柄:エリスマン邸
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:エリスマン邸
道を挟んでベーリック・ホールに隣接する場所にエリスマン邸は建っています。
大正15年(1926年)に山手127番地にA.レーモンドの設計で建てられ、平成2年(1990年)に現在の元町公園に移築復元されました。
この建物も横浜市認定歴史的建造物になっています。
これまで見てきた横浜山手の洋館に比べるとデコレーションがおさえられて、モダニズムの建物になっている印象です。内部の階段などには師匠であるライトの影響がデザインに見られました。
ここはスイスにちなんだ飾り付けがなされていました。
楽譜入れの引出しを飾り棚にしてデコレートしていました。
ちょっとした工夫で楽しい飾り付けができますね。
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:エリスマン邸
道を挟んでベーリック・ホールに隣接する場所にエリスマン邸は建っています。
大正15年(1926年)に山手127番地にA.レーモンドの設計で建てられ、平成2年(1990年)に現在の元町公園に移築復元されました。
この建物も横浜市認定歴史的建造物になっています。
これまで見てきた横浜山手の洋館に比べるとデコレーションがおさえられて、モダニズムの建物になっている印象です。内部の階段などには師匠であるライトの影響がデザインに見られました。
ここはスイスにちなんだ飾り付けがなされていました。
楽譜入れの引出しを飾り棚にしてデコレートしていました。
ちょっとした工夫で楽しい飾り付けができますね。
番建45_ベーリック・ホール_084 [番外編 建物スタンプ]
図柄:ベーリック・ホール
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:ベーリック・ホール
次はベーリック・ホールという洋館へ向かいました。
この建物は横浜市認定歴史的建造物になっています。
1930年(昭和5年)にアメリカ人建築家J.H.モーガンの設計により建てられたスパニッシュスタイルの邸宅で、現存する戦前の外国人住宅の中では最大規模の建物です。
戦前まで住宅として使用されていたこの建物は、平成12年(2000年)まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。
その後、横浜市が買い取り、平成14年(2002年)から一般公開されました。
飾り付けはフィンランドにちなんだものでした。
窓のデザインもキュートでカワイイ。
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:ベーリック・ホール
次はベーリック・ホールという洋館へ向かいました。
この建物は横浜市認定歴史的建造物になっています。
1930年(昭和5年)にアメリカ人建築家J.H.モーガンの設計により建てられたスパニッシュスタイルの邸宅で、現存する戦前の外国人住宅の中では最大規模の建物です。
戦前まで住宅として使用されていたこの建物は、平成12年(2000年)まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。
その後、横浜市が買い取り、平成14年(2002年)から一般公開されました。
飾り付けはフィンランドにちなんだものでした。
窓のデザインもキュートでカワイイ。
番建44_テニス発祥記念館_083 [番外編 建物スタンプ]
図柄:テニスコート
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:テニス発祥記念館
山手68番館の手前にテニス発祥記念館という建物が建っています。
自分はテニスをやらないので知らなかったのですが、横浜はテニス発祥の地で、1876年(明治9年)に山手公園でわが国最初のローンテニス(いわゆるテニス)が行なわれ、また1878年にはわが国最初のテニスクラブが誕生したということです。
そこでテニス発祥120周年を記念してこの建物が建てられたというのですが、あたかも昔からあったようなバンガロー風のデザインで、内部ではテニスの歴史や100年以上前のラケットなどテニスにまつわる展示がなされ、誰でも気軽に入ることができます。
ここは新しい建物なので特にクリスマスの飾り付けはなされていませんでした。
またこの建物や山手68番館の建つ山手公園は1870年(明治3年)に横浜居留外国人のてによってつくられたわが国最初の洋式公園だそうです。
ヒマヤラスギもここに初めて植えられ、全国に広まったということです。(知らなかったぁ〜)
まち歩きはいろいろ知らない歴史などに触れる機会があるから、おもしろい。
これからもいろいろと偶然の発見ができたらいいなと思っています。
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:テニス発祥記念館
山手68番館の手前にテニス発祥記念館という建物が建っています。
自分はテニスをやらないので知らなかったのですが、横浜はテニス発祥の地で、1876年(明治9年)に山手公園でわが国最初のローンテニス(いわゆるテニス)が行なわれ、また1878年にはわが国最初のテニスクラブが誕生したということです。
そこでテニス発祥120周年を記念してこの建物が建てられたというのですが、あたかも昔からあったようなバンガロー風のデザインで、内部ではテニスの歴史や100年以上前のラケットなどテニスにまつわる展示がなされ、誰でも気軽に入ることができます。
ここは新しい建物なので特にクリスマスの飾り付けはなされていませんでした。
またこの建物や山手68番館の建つ山手公園は1870年(明治3年)に横浜居留外国人のてによってつくられたわが国最初の洋式公園だそうです。
ヒマヤラスギもここに初めて植えられ、全国に広まったということです。(知らなかったぁ〜)
まち歩きはいろいろ知らない歴史などに触れる機会があるから、おもしろい。
これからもいろいろと偶然の発見ができたらいいなと思っています。
番建43_山手68番館_082 [番外編 建物スタンプ]
番建42_外交官の家_081 [番外編 建物スタンプ]
図柄:外交官の家
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:外交官の家
次に向かったのは隣接して建っている外交官の家です。
さよならの夏〜コクリコ坂から〜を手嶌葵さんが建物の前で歌っているKDDIのCMが記憶に新しい人もいると思います。(この歌はもともと森山良子さんがテレビ主題歌で歌っていたもので、倍賞千恵子さんも歌っていました。)
これは重要文化財になっている建物で、もともと東京都渋谷区南平台に建てられたものを平成9年(1997年)に移築されたものです。
明治43年(1910年)明治政府外交官内田定槌邸として木造2階建て、塔屋付きの建物をアメリカ人の建築家J.M.ガーディナーが設計しました。(ガーディナーは立教大学の前身立教学校の初代校長)
移築されてきた建物なので、実際の敷地でどういう雰囲気で建っていたかわかりませんが、以前からここに建っていたかのようにマッチしていました。
クリスマスの飾り付けはドイツにちなんだ飾り付けでした。
喫茶コーナーもあるのでゆっくり雰囲気を楽しむことが出来ると思います。
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:外交官の家
次に向かったのは隣接して建っている外交官の家です。
さよならの夏〜コクリコ坂から〜を手嶌葵さんが建物の前で歌っているKDDIのCMが記憶に新しい人もいると思います。(この歌はもともと森山良子さんがテレビ主題歌で歌っていたもので、倍賞千恵子さんも歌っていました。)
これは重要文化財になっている建物で、もともと東京都渋谷区南平台に建てられたものを平成9年(1997年)に移築されたものです。
明治43年(1910年)明治政府外交官内田定槌邸として木造2階建て、塔屋付きの建物をアメリカ人の建築家J.M.ガーディナーが設計しました。(ガーディナーは立教大学の前身立教学校の初代校長)
移築されてきた建物なので、実際の敷地でどういう雰囲気で建っていたかわかりませんが、以前からここに建っていたかのようにマッチしていました。
クリスマスの飾り付けはドイツにちなんだ飾り付けでした。
喫茶コーナーもあるのでゆっくり雰囲気を楽しむことが出来ると思います。
番建41_ブラフ18番館_080 [番外編 建物スタンプ]
図柄:ブラフ18番館
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:ブラフ18番館
さて今日からしばらくヨコハマ山手編になります。
ご存知のように横浜山手地区には多くの洋館が保存または移築保存されたり、いまだに多くの建物が現役で使われている地区でもあり、洋館好きとしては行こうと思ってなかなかいけず、昨年末ようやくそれが実現できました。スタンプラリーもあり、一石二鳥というわけです。
元町からのコースと石川町からのコースがあるのですが、今回は石川町からのコースで見て廻りました。
このブラフ18番館は大正末期、関東大震災後山手町45番地に建てられた外国人住宅で、戦後は山手教会の司祭館として平成3年(1991年)まで使用されていたそうです。平成5年に山手イタリア山庭園内に移築復元され、当時の外国人住宅の暮らしを再現、展示されています。横浜市認定歴史的建造物になっています。
ちょうどクリスマス直前ということもあって、飾り付けがきれいになされていました。
写真はありませんが、ここはベルギーにちなんだ飾り付けがなされていました。(ベルギーの方が住んでいたから、ベルギーなのか不明ですが)
サッシの枠のグリーンがとてもカワイイ。ボリューム的には洋館としてはこじんまりとしていて程よいスケール感になっている。
洋館には上の写真のようなサンルームが設けられていることが多い。
こういう場所で日なたぼっこしながら、読書したり、お茶を飲んだりするのもいいなあ、なんて思ったり......。
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:ブラフ18番館
さて今日からしばらくヨコハマ山手編になります。
ご存知のように横浜山手地区には多くの洋館が保存または移築保存されたり、いまだに多くの建物が現役で使われている地区でもあり、洋館好きとしては行こうと思ってなかなかいけず、昨年末ようやくそれが実現できました。スタンプラリーもあり、一石二鳥というわけです。
元町からのコースと石川町からのコースがあるのですが、今回は石川町からのコースで見て廻りました。
このブラフ18番館は大正末期、関東大震災後山手町45番地に建てられた外国人住宅で、戦後は山手教会の司祭館として平成3年(1991年)まで使用されていたそうです。平成5年に山手イタリア山庭園内に移築復元され、当時の外国人住宅の暮らしを再現、展示されています。横浜市認定歴史的建造物になっています。
ちょうどクリスマス直前ということもあって、飾り付けがきれいになされていました。
写真はありませんが、ここはベルギーにちなんだ飾り付けがなされていました。(ベルギーの方が住んでいたから、ベルギーなのか不明ですが)
サッシの枠のグリーンがとてもカワイイ。ボリューム的には洋館としてはこじんまりとしていて程よいスケール感になっている。
洋館には上の写真のようなサンルームが設けられていることが多い。
こういう場所で日なたぼっこしながら、読書したり、お茶を飲んだりするのもいいなあ、なんて思ったり......。
番建40_下町風俗資料館_079 [番外編 建物スタンプ]
図柄:駄菓子屋
押印日:2010.6.5
スタンプ設置場所:下町風俗資料館
スタンプの押印状態があまりよくありませんが.......。
不忍池のほとりに建つ下町風俗資料館。
一昨日紹介した旧吉田屋酒店(下町風俗資料館付設展示場)の本館になります。
1980年に開館した博物館で1階にはまだ江戸の風情かおる大正時代の下町の街並を再現されていて、実際に使われていた調度品や生活道具が展示されています。
この風景を懐かしいというか、古くさいと思うかは世代によって変わるでしょうが、駄菓子屋なんかは小さい頃まだ残っている時代に生まれているのでなんとなく昭和の懐かしさを感じました。
東京は関東大震災と空襲でそれまで残っていた風景がすっかりなくなり、風景が一変しました。
もしその2つのことが仮になかったとしたら、どんな発展を遂げた街並が出来たのだろう。とこういう場所に来ると思わず、考えてしまいます。
2階は手に取って遊べる玩具コーナーや下町に関する資料や生活に関する資料、季節・年中行事に関する資料が展示されています。
小さい規模の博物館ですが、外国の方も多く訪れていて、意外と穴場かも。
ちょっと立ち寄ってみるというのもいいかもしれません。
押印日:2010.6.5
スタンプ設置場所:下町風俗資料館
スタンプの押印状態があまりよくありませんが.......。
不忍池のほとりに建つ下町風俗資料館。
一昨日紹介した旧吉田屋酒店(下町風俗資料館付設展示場)の本館になります。
1980年に開館した博物館で1階にはまだ江戸の風情かおる大正時代の下町の街並を再現されていて、実際に使われていた調度品や生活道具が展示されています。
この風景を懐かしいというか、古くさいと思うかは世代によって変わるでしょうが、駄菓子屋なんかは小さい頃まだ残っている時代に生まれているのでなんとなく昭和の懐かしさを感じました。
東京は関東大震災と空襲でそれまで残っていた風景がすっかりなくなり、風景が一変しました。
もしその2つのことが仮になかったとしたら、どんな発展を遂げた街並が出来たのだろう。とこういう場所に来ると思わず、考えてしまいます。
2階は手に取って遊べる玩具コーナーや下町に関する資料や生活に関する資料、季節・年中行事に関する資料が展示されています。
小さい規模の博物館ですが、外国の方も多く訪れていて、意外と穴場かも。
ちょっと立ち寄ってみるというのもいいかもしれません。
番建38,39_旧岩崎邸庭園_077,078 [番外編 建物スタンプ]
図柄:旧岩崎邸洋館(左)雪見型灯籠と洋館
押印日:2010.6.5
スタンプ設置場所:旧岩崎邸庭園
上野公園不忍池に沿って不忍通りを湯島の方へ向かって南へと下ると、一本道を入ったところに旧岩崎庭園があります。
当時は1,500坪を超える敷地に20棟以上の建物があったそうですが、現在は洋館、和館、撞球室の3棟のみが残されているだけです。
洋館は3代目岩崎久弥によって明治29年(1896年)にジョサイア・コンドル(旧古河邸も設計)が設計し、木造2階建て、地下室付きの本格的洋館として完成しました。
この洋館と撞球室は地下でつながっていて、ブラタモリはじめいろいろ紹介されているのでご存知の方もいらっしゃると思います。
残念ながら、一般公開はされていないのではいれないのですが、いつの日か一般公開されるように整備してもらえればと思います。
この撞球室(ビリヤード場)もコンドルの設計ですが、こちらはスイスの山小屋風の造りになっています。中には入れませんが、外から中の様子を見ることは出来ました。
しかし旧岩崎邸を見学したあとに目の前に建つ湯島ハイタウンの室外機と窓が規則正しく並ぶ光景はシュールだった。
番建37_下町風俗資料館付設展示場_076 [番外編 建物スタンプ]
図柄:下町風俗資料館付設展示場
押印日:2010.6.5
スタンプ設置場所:下町風俗資料館付設展示場
この下町風俗資料館付設展示場は谷中6丁目の一角にあった江戸時代から昭和61年まで営業されていた老舗の酒屋さんだそうで、不忍池ほとりの下町風俗資料館の付設展示場として現在の位置に移築され公開されている建物です。
建物は明治43年に建てられた深い軒を支える出桁造りとなっていて、江戸中期から明治時代の商家建築の特徴を示す造りになっています。
屋内はお酒を販売するために使われていた道具や資料などが展示されていました。ちなみに入館料は無料ですので、近くにきたら立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
また平成元年には1階店舗と2階部分、道具・文書類が台東区指定有形民俗文化財になっています。
ここに来たら、道を挟んだカヤバ珈琲で休憩といきたいところです。
建物は下町風俗資料館付設展示場(旧吉田酒店)と同様に出桁造りとなっている大正5年に建てられた町家ですが、カヤバ珈琲は昭和13年に創業され70年近く親しまれてきた喫茶店です。店主が亡くなられて平成18年に一旦、店を閉められましたが、有志が集い、昔の雰囲気を残しつつ、現代的な内装で平成21年9月に復活再生を果たしました。
残念ながら自分は以前のカヤバ珈琲に入ったことがなく、今回リニューアルした内装しか知らないのですが、東京という場所柄、スクラップアンドビルドの繰り返しが当たり前のように行なわれている中で、こうした建物を現役として残して行くというのはとても貴重なことだと思いますし、できるだけ残して行けたらいいと思います。
名物だというたまごサンドをいただき、短い時間でしたがゆったりした時間の流れを感じました。
たまにはこうした時間の過ごし方も必要ですね。
押印日:2010.6.5
スタンプ設置場所:下町風俗資料館付設展示場
この下町風俗資料館付設展示場は谷中6丁目の一角にあった江戸時代から昭和61年まで営業されていた老舗の酒屋さんだそうで、不忍池ほとりの下町風俗資料館の付設展示場として現在の位置に移築され公開されている建物です。
建物は明治43年に建てられた深い軒を支える出桁造りとなっていて、江戸中期から明治時代の商家建築の特徴を示す造りになっています。
屋内はお酒を販売するために使われていた道具や資料などが展示されていました。ちなみに入館料は無料ですので、近くにきたら立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
また平成元年には1階店舗と2階部分、道具・文書類が台東区指定有形民俗文化財になっています。
ここに来たら、道を挟んだカヤバ珈琲で休憩といきたいところです。
建物は下町風俗資料館付設展示場(旧吉田酒店)と同様に出桁造りとなっている大正5年に建てられた町家ですが、カヤバ珈琲は昭和13年に創業され70年近く親しまれてきた喫茶店です。店主が亡くなられて平成18年に一旦、店を閉められましたが、有志が集い、昔の雰囲気を残しつつ、現代的な内装で平成21年9月に復活再生を果たしました。
残念ながら自分は以前のカヤバ珈琲に入ったことがなく、今回リニューアルした内装しか知らないのですが、東京という場所柄、スクラップアンドビルドの繰り返しが当たり前のように行なわれている中で、こうした建物を現役として残して行くというのはとても貴重なことだと思いますし、できるだけ残して行けたらいいと思います。
名物だというたまごサンドをいただき、短い時間でしたがゆったりした時間の流れを感じました。
たまにはこうした時間の過ごし方も必要ですね。
番建36_島原城登閣記念4_070 [番外編 建物スタンプ]
図柄:島原城登閣記念4 島原の子守唄
押印日:2010.12.11
スタンプ設置場所:島原城
これは島原城内にあった島原城登閣記念スタンプその4です。
これで島原城だけで100名城スタンプを合わせると5つものスタンプをゲットしたことになります。
図からにある島原の子守唄というのは自分は聞いたことがなかったので、ネットで調べてみたら、いろいろな歌手の方が歌われいるんですね。昭和の名曲として知られていたようです。
また島原は街の中をきれいな水がめぐっていて、鯉が気持ち良さそうに泳いでいました。
途中、歩き疲れたので甘味処を探していたら、しまばら水屋敷というお店を見つけ入ってみました。ここは明治5年(1872年)に建てられた和洋折衷の屋敷で雰囲気も良く、落ち着ける場所でした。
縁側の前の池は一日約4000トン(1秒50L)もの水が涌いているそうで、まさに水屋敷です。2階は招き猫屋敷になっています。
ここでは島原名物かんざらし(白玉を冷たいシロップに入れた素朴なスイーツ)をいただきました。
味も素朴で、大人な味を堪能しました。
島原には当然、初めて来たのですが、これほどきれいな水がある場所とは知りませんでした。
押印日:2010.12.11
スタンプ設置場所:島原城
これは島原城内にあった島原城登閣記念スタンプその4です。
これで島原城だけで100名城スタンプを合わせると5つものスタンプをゲットしたことになります。
図からにある島原の子守唄というのは自分は聞いたことがなかったので、ネットで調べてみたら、いろいろな歌手の方が歌われいるんですね。昭和の名曲として知られていたようです。
また島原は街の中をきれいな水がめぐっていて、鯉が気持ち良さそうに泳いでいました。
途中、歩き疲れたので甘味処を探していたら、しまばら水屋敷というお店を見つけ入ってみました。ここは明治5年(1872年)に建てられた和洋折衷の屋敷で雰囲気も良く、落ち着ける場所でした。
縁側の前の池は一日約4000トン(1秒50L)もの水が涌いているそうで、まさに水屋敷です。2階は招き猫屋敷になっています。
ここでは島原名物かんざらし(白玉を冷たいシロップに入れた素朴なスイーツ)をいただきました。
味も素朴で、大人な味を堪能しました。
島原には当然、初めて来たのですが、これほどきれいな水がある場所とは知りませんでした。
番建35_島原城登閣記念3_069 [番外編 建物スタンプ]
図柄:島原城登閣記念3 島原城
押印日:2010.12.11
スタンプ設置場所:島原城
これは島原城内にあった島原城登閣記念スタンプその3です。
島原城のちょっと先に道幅5.6m、延長406.8mという中央を水路が流れる石垣が積まれた道、武家屋敷水路と呼ばれている場所があります。
水路の水は旧藩時代に生活用水として利用していたそうです。
現在この道に沿って残されて公開されている武家屋敷は3軒しかありません。石垣はそのままに残されていて往年の姿を想像することは出来ますが、建てられている家は現代のものばかり。
しかしこの道に沿って駐車場があるお宅があったが、中央に水路がある分、有効な道幅が狭いから大変そうだ。
水はとてもきれいでした。
押印日:2010.12.11
スタンプ設置場所:島原城
これは島原城内にあった島原城登閣記念スタンプその3です。
島原城のちょっと先に道幅5.6m、延長406.8mという中央を水路が流れる石垣が積まれた道、武家屋敷水路と呼ばれている場所があります。
水路の水は旧藩時代に生活用水として利用していたそうです。
現在この道に沿って残されて公開されている武家屋敷は3軒しかありません。石垣はそのままに残されていて往年の姿を想像することは出来ますが、建てられている家は現代のものばかり。
しかしこの道に沿って駐車場があるお宅があったが、中央に水路がある分、有効な道幅が狭いから大変そうだ。
水はとてもきれいでした。
番建34_島原城登閣記念2_068 [番外編 建物スタンプ]
番建33_島原城登閣記念1_067 [番外編 建物スタンプ]
番建32_長崎歴史文化博物館2_066 [番外編 建物スタンプ]
図柄:長崎歴史文化博物館 魏志倭人伝のクニグニネットワーク
押印日:2010.12.10
スタンプ設置場所:長崎歴史文化博物館
これはたぶん博物館内常設展のところで押したような記憶があるけれど、どうだったかな?
ちょっと記憶があいまいですが。
今回で長崎市内のスタンプ関係は終了です。
旅行に行くと結構な数のスタンプが集まります。
この旅行では51個ほど手帳に押してありました。
長崎で出会った路面電車たちの一部
路面電車が熊本でもそうでしたが、長崎の方がより身近で、生活の一部になっている印象でした。それに車両数も多かったし、本数も多かったと思います。
路面電車のある風景は個人的にとても好きな風景です。
亀山社中記念館に向かう途中の坂道ではたくさんの猫と出会えます。
訪れたときは冬だったので日なたぼっこしている猫がたくさんいました。
傾斜地に建つ住宅群
長崎は確かに急な坂が多い街で、お年寄りにはちょっと大変そうな場所だけど、初めて行ってみて街の持つ雰囲気とかとても気に入りました。
何度も行くには少し遠いのでなかなかチャンスはありませんが、また行ってみたい場所でした。
なんか旅行記になってしまいましたが。
さて次に向かうのは。
押印日:2010.12.10
スタンプ設置場所:長崎歴史文化博物館
これはたぶん博物館内常設展のところで押したような記憶があるけれど、どうだったかな?
ちょっと記憶があいまいですが。
今回で長崎市内のスタンプ関係は終了です。
旅行に行くと結構な数のスタンプが集まります。
この旅行では51個ほど手帳に押してありました。
長崎で出会った路面電車たちの一部
路面電車が熊本でもそうでしたが、長崎の方がより身近で、生活の一部になっている印象でした。それに車両数も多かったし、本数も多かったと思います。
路面電車のある風景は個人的にとても好きな風景です。
亀山社中記念館に向かう途中の坂道ではたくさんの猫と出会えます。
訪れたときは冬だったので日なたぼっこしている猫がたくさんいました。
傾斜地に建つ住宅群
長崎は確かに急な坂が多い街で、お年寄りにはちょっと大変そうな場所だけど、初めて行ってみて街の持つ雰囲気とかとても気に入りました。
何度も行くには少し遠いのでなかなかチャンスはありませんが、また行ってみたい場所でした。
なんか旅行記になってしまいましたが。
さて次に向かうのは。
番建31_長崎歴史文化博物館1_065 [番外編 建物スタンプ]
番建29,30_浦上天主堂_063,64 [番外編 建物スタンプ]
番建28_長崎原爆資料館_062 [番外編 建物スタンプ]
図柄:長崎原爆資料館
押印日:2010.12.10
スタンプ設置場所:長崎原爆資料館
以前、初めて広島平和記念館を訪れた際に衝撃を受け、教科書や伝わる情報からしか感じ得なかったものが、現地ではもっと身近に感じられるし、感じざるを得ない状況にあると感じたので、今回原爆資料館を訪れることも長崎に来た理由の一つにありました。
1945年8月9日 11:02
あれから66年経ちました。
原爆資料館のすぐ近くに原爆落下中心地公園があります。
中心地標柱として黒御影石の碑が建てられていました。
そしてその横には原爆により破壊された浦上天主堂の遺壁が移設されて残っています。
テレビでは良く見ていた平和祈念像。
ただただ平和であってほしいと願うばかりです。
押印日:2010.12.10
スタンプ設置場所:長崎原爆資料館
以前、初めて広島平和記念館を訪れた際に衝撃を受け、教科書や伝わる情報からしか感じ得なかったものが、現地ではもっと身近に感じられるし、感じざるを得ない状況にあると感じたので、今回原爆資料館を訪れることも長崎に来た理由の一つにありました。
1945年8月9日 11:02
あれから66年経ちました。
原爆資料館のすぐ近くに原爆落下中心地公園があります。
中心地標柱として黒御影石の碑が建てられていました。
そしてその横には原爆により破壊された浦上天主堂の遺壁が移設されて残っています。
テレビでは良く見ていた平和祈念像。
ただただ平和であってほしいと願うばかりです。