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番他40_写楽展小型印_125 [番外編 他スタンプ]

番他40_写楽展小型印_125.jpg図柄:三代目大谷鬼次の江戸兵衛 小型印
押印日:2011.6.4
スタンプ設置場所:東京国立博物館 平成館 会場内

いつもご覧いただき、またniceをいただいている方々ありがとうございます。
さていよいよ今回が番外編の最後になります。
月曜日からは本編?
といっても内容はいつもと変わりませんが。。。。

今日は6月に震災で開催期間が延期になった東京国立博物館平成館で行われた特別展「写楽」の会場内に設置された上野郵便局臨時出張所で押してもらった小型印(消印)です。
この小型印はイベントや何かの記念などで時々、期間限定で出ます。
会期末に近い日でしたので混雑しているかと思いましたが、朝一で出かけて行ったおかげか、スムーズに見学できました。
写楽展.jpg

写楽はご存知のように活動期が約10ヶ月と短く、忽然と姿を消した江戸中期の浮世絵師です。
写楽が描いたデフォルメした大首絵はあまりにも有名。
今回の特別展には146点中、142点が一同に展示され、大首絵は28点すべて揃うという展覧会で、見応え十分でした。例えば同じ大首絵を並べて、保存状態や色の違いなどをみせたり、同じ役者を他の浮世絵師が描いたものを並べて展示したりして、展示も工夫されていました。
写楽.jpg

このように官製はがきに押していただきました。
写楽小型印.jpg


本編もスタンプと写真の構成は変わらないと思いますが、番外編以上にスタンプと関係のない写真が増えるかもしれませんが、ご了承下さい。
在庫切れにならない限り、できるだけ毎日更新しようと思ってますので今後ともよろしくです。




番他39_皇居東御苑2_124 [番外編 他スタンプ]

番他39_皇居東御苑2_124.jpg図柄:天守台 皇居東御苑入園
押印日:2011.7.13
スタンプ設置場所:本丸休憩所(たぶん)

江戸城天守台。
たしかな史料はないが、まず家康によって慶長12年天守が完成し、2代目の秀忠の代で天守を改築し、本丸最北部へ移動し築城したといわれている。しかしこれについても確かな史料はないようです。家光の代になると銅瓦葺きの5層大天守が完成しましたが、1657年におこった明暦の大火で、飛び火により天守、本丸御殿、二の丸御殿などが焼失。それ以後、再建計画がまったくなかったわけではありませんが、天守閣が再建されることはありませんでした。一個人と歴史人の特別編集された別冊の「戦国武将の城」では、CGで慶長度天守(家康)、元和度天守(秀忠)、寛永度天守(家光)、そして幻の4度目の天守が再現されています。
またその大きさは全国の天守の中でも群を抜いて大きい。
もし実際に残っていたらこれはかなりすごい文化遺産となっていたことだと思いますし、今また江戸城を再建しようという動きもあります。
天守台.jpg

天守台から南を見ると、ちょうど芝生広場から天守台手前ぐらいにいわゆる大奥があったとされています。
江戸時代、庶民はここに立つことはありえないわけで、なんか不思議な感じです。
大奥.jpg

平日だったからか意外と人も少なく、高層ビルは見えるけれど、東京であることを忘れさせてくれる静けさであり、穴場スポットかなと思いました。(たまたまだったかもしれないし、休日は混んでるのかもしれませんが)
東京の真ん中にこれだけ広大な場所が残っているのはとても貴重です。
もう少し、歴史的遺構があってもいいかなと思うのは贅沢かな。
しかし皇居は近場で江戸東京を気軽にタイムトリップできる場所の一つですね。



番他38_皇居東御苑1_123 [番外編 他スタンプ]

番他38_皇居東御苑1_123.jpg図柄:大手門 皇居東御苑入園
押印日:2011.7.13
スタンプ設置場所:大手休憩所(たぶん)

皇居参観のあと、一般公開されている東御苑に行きました。
ここは江戸城本丸、二の丸及び三の丸の一部を整備して昭和43年から公開されています。
当然、ここも初めてきました。

3つの番所がありました。
まず一つ目は同心番所で、大手門から入城した大名が最初に通る番所で、与力や同心が詰めて警護に当たっていました。主に大名の供の監視をしていたそうです。
同心番所.jpg
次は百人番所。
背景の高層ビル群との対比が妙な感じ。
本丸に入るときの最大の検問所で、甲賀組、根来組、伊賀組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めいていたところ。各組同心100人ずつが配属されていたところから、百人番所と呼ばれたそうです。
百人番所.jpg
3つ目は大番所。
他の番所よりも位の高い与力、同心たちが詰めていたところ。
大番所.jpg
3つの番所を通り過ぎて歩いていくと芝生広場がひろがり、西側の道に沿って歩いていくと、元禄14年3月14日、浅野内匠頭が吉良上野介に対しておこした刃傷沙汰で有名なあの「松の廊下」跡がありました。
この辺がそうだといってもなかなかイメージしにくいですね。
しかし310年前にはあったんですよね、松の廊下が。
松の廊下跡2.jpg松の廊下跡.jpg

つづく。。。。




番他37_皇居参観記念_122 [番外編 他スタンプ]

番他37_皇居参拝記念_122.jpg図柄:皇居参観記念 鳳凰 伏見櫓 正門石橋
押印日:2011.7.13
スタンプ設置場所:窓明館

ここのところ、出かける用事が多く、本日のアップがいつもより遅くなってしまいました。
今日のスタンプは皇居参観記念のスタンプですが、図柄がよく分からない状態で、かつスタンプをグリッドのノートに押印したのでその線が見えてしまい、見苦しくアップするか悩みましたが、結局勇気を振り絞ってアップすることにしました。
よくわからないスタンプになってしまったことご了承下さい。

さて皇居ツアーですが、桔梗門から皇居の中に入るまで、何か特別なところに足を踏み入れることが出来る感動がありました。まずはスタンプを押印した窓明館に集まって、皇居のビデオを見ました。
それから参観者全員が宮内庁のガイドの方のあとをついて約1時間ぐらい歩いて見てまわります。
当然、見れるのは皇居の一部です。

下の写真は冨士見櫓です。
江戸の遺構としては最も古いものに属する三重櫓で、万治2年(1659年)の再建。
石垣の高さが約14.5m、櫓の高さが約15.5mで、時々将軍がここに来て、海や富士山を眺めたということらしいです。
富士見櫓.jpg

桔梗門から冨士見櫓の間の石垣には刻紋がありました。
○に十字は島津家
江戸城刻紋.jpg

冨士見櫓の石垣の足もとに多くの石垣用の石が。
これは石垣の修繕のためすべての石に番号をふって、再度同じように積み直すために置いてあるのだとか。
修繕用石垣.jpg

冨士見櫓から見下ろすところには蓮池濠といって約400mに渡って一面蓮に覆われているお濠がありました。
蓮池濠.jpg

その先によくテレビでも目にする宮内庁庁舎があります。
宮内庁庁舎.jpg

そしてその先には国賓の接伴や公の儀式や行事に使われている宮殿が。
宮殿という名のとおり、かなり建物規模は大きい。
長さが163mもあって、廊下だけでも100mあるそうです。
宮殿.jpg

宮殿の東側に広がる広場は宮殿東庭とよばれ、新年と天皇誕生日の一般参賀はここでおこなわれます。
ここもかなり広い。ここの広場で約2万人が収容可能だそうです。
宮殿東庭.jpg

宮殿東庭をぬけると二重橋。
昔の技術では、高い位置での橋を架けることが難しく、上下二段に木橋を架けて構造的に強くしたことから、二重橋と呼ばれていたというこですが、現在は正門石橋と合わせて二重橋と呼ばれています。
ここから見えるのが伏見櫓。
家光の頃、京都伏見城から移築されたといわれています。
伏見櫓.jpg

ここが、東京のど真ん中だということを忘れてしまう、江戸城の遺構や皇居の建物でした。
この日はかなり日差しが強く、結局この夏一番の日焼けをしてしまいました。
見学している最中は、こまめな水分補給で熱中症に気を付けながら、また途中、トイレがないので注意ですね。(今の季節は夏ほどでもありませんが)
皇居は申し込めば参観できるので、興味のある方は一度見てみるのも良いかと思います。
今日はスタンプの状態があまり良くなかったので写真を多めにしてしまいました。




番他36_犬山駅_119 [番外編 他スタンプ]

番他36_犬山駅_119.jpg図柄:ぶらり城下町スタンプラリー 犬山駅
押印日:2011.5.19
スタンプ設置場所:名鉄犬山駅

時間的には短かったですが、国宝犬山城を堪能し、次なる目的地へ行くために帰りはおすすめルートを歩いて犬山駅に向かいました。
駅に向かうルートは在りし日の犬山城下町の雰囲気が残る建物が残っていましたが、新しく建てられる建物も多く、少し物足りなさがありました。
国宝犬山城の城下町としてもう少し整備されてもよいかなと感じました。

犬山駅で押印した今日のスタンプには「ぶらり城下町スタンプラリー」とあるので、他にもこのスタンプが置いてある場所があるんでしょうね。

犬山城下町1.jpg


犬山城下町2.jpg


犬山城下町3.jpg


さて犬山駅から向かった先は名古屋。
次の目的地は本日3つ目のお城、名古屋城です。

続く。。。


番他35_天下布武_116 [番外編 他スタンプ]

番他35_天下布武_116.jpg図柄:天下布武
押印日:2011.5.19
スタンプ設置場所:岐阜城資料館入口

「天下布武」
これは沢彦和尚から与えられた織田信長が使用していた朱印。
いろいろと解釈はあるようですが、訓読みすれば「天下に武を布く」となり、武力を持って天下を取ることとなり、天下統一を意味するというのが一般的なのかなと思います。

岐阜城の展望台から見る景色はきれいでした。
山城であるがゆえの景色ですね。
たしかにこの高さから眼下に広がる景色を見れば、「天下を取ったるでー」みたいな気分になるのかな。
ルイス・フロスが「バビロンの町のよう」と評したように楽市楽座を開設した岐阜城下町はかなりにぎわいがあったというから、この山頂からその様子を見て信長はどんな気持ちで天下統一の夢を見ていたんでしょうね。

岐阜城から眺める1.jpg

岐阜城から眺める2.jpg

ロープウェイに乗っている途中の山麓では信長公の居館の発掘調査していました。
ちょうど歴史人7月号に岐阜城とあわせてCGで再現された居館が掲載されていましたのを見ましたが、想像しているよりも地味な感じはしました。
おそらく安土城のイメージが刷り込まれているからかもしれません。
しかし実際にどんな建物だったか興味があります。
信長公居館跡.jpg

さて岐阜城の旅も今回で終了。
帰り、ロープウェイの乗り場まで下がってくるとき右膝に痛みが!
すぐに回復しましたが、この坂道きついなぁと思いながら、下りてきました。
もう歳やね〜
次は。。。


番他34_桜田門外ノ変オープンロケセット2_113 [番外編 他スタンプ]

番他34_桜田門外ノ変2_113.jpg図柄:桜田門
押印日:2011.3.3
スタンプ設置場所:入場券売り場付近

桜田門外ノ変オープンロケセットスタンプ2つめ。

桜田門とお濠は本物そっくりに出来てはいましたが、よく見れば石垣はやはりセットのつくり。
地面には寒水石と呼ばれる白色石灰石(たぶん?)を敷いて雪に見たて、屋根にはそれに接着剤を混ぜたものを使用しているとか。
遠目で見ればそれっぽく見えるし、ましてや映像になればそれなりに見えます。
自然現象をセットで再現するのは、やはり大変ですね。

桜田門及びその周辺の大名屋敷を再現したこのオープンロケセットは日本最大級とうたうだけあって広いんですが、江戸の街や下町などを再現したというわけではないので、こまごまとした雰囲気がない分、大味な感じではあります。

現代劇と違って、時代劇はその町が残っていないわけだから、セットで再現するしかないですし、部分的にはCGやロケという手もあるでしょうが、やっぱりセットに頼らざるをえない。ましてやスケール感を出すには大掛かりなセットが必要になってくる。しかし実際のスケールですべてを再現するにはお金もかかるし、おのずと工夫する必要性が出てくるのは時代劇の特徴でもあります。所作などはもちろんですが、カット割りや映像技術の方でどれだけ本物の雰囲気に近づけるかというのが、腕の見せ所でもあります。
水戸黄門も今シリーズで終了し、民放での時代劇が姿を消す中、昨年は映画の時代劇が多く公開され、ひそかなブーム?になっているとかいないとか。
まったく無くなるのはさびしい気もするので、なんとかここで踏ん張ってほしいです。

昔はほとんど時代劇をみることはなかったのですが、年齢のせいでしょうか、よく見るようになりましたね。自分でも不思議に思います。

桜田門.jpg


オープンロケセットを見る前に千波湖畔にある「好文Cafe」で一休み。
ここで名物という白鳥と黒鳥をかたどったシュークリームをいただきました。
左の写真は白鳥の方でカスタード、右は黒鳥の方でゴマクリームでした。
首から頭にかけての部分は、あとから差し込む形になっていました。この形次第ではちょっと微妙な感じになりますね。今回いただいたものはそれなりに見えるかな?
ハクチョーシュー.jpgコクチョーシュー.jpg

帰りは千波湖畔を歩きながら、水戸駅に向かいました。
千波湖では多くの野鳥をみることができました。
野鳥もじつは興味はありませんでしたが、家の近くでカワセミを見かけるようになって以来、多くの種類の野鳥が飛来していることに気づき、興味がわいてきたのがつい最近。
今冬が来るのを今から楽しみにしているのです、じつは。

今回は、コブハクチョウ、オオハクチョウ、オオバン、カンムリカイツブリ、カイツブリ、オナガガモ、マガモ、カルガモ、ユリカモメ、コクチョウ、ヒドリガモ、ホシハジロ、カワウ、ツグミといったものを見ることができました。

今回で水戸編終了。
梅は満開ではありませんでしたが、いろいろと見ることが出来ました。
この日歩いたのは27,000歩。まずまずかな。

さて次は.....。

番他33_桜田門外ノ変オープンロケセット1_112 [番外編 他スタンプ]

番他33_桜田門外ノ変1_112.jpg図柄:安芸広島藩邸と杵築藩邸
押印日:2011.3.3
スタンプ設置場所:入場券売り場付近

偕楽園をあとにして、次に千波湖畔に作られた「桜田門外ノ変」のオープンロケセットを見に向かった。
期間限定の一般公開だったと記憶していたが、現在もなお公開されている。
映画が公開されたのがちょうど1年前。
自分はいまだに見ていないのですが、いつか見ようとは思っています。

このオープンロケセットは桜田門外での襲撃現場と、その周辺のお濠や大名屋敷などを再現しています。
図柄にあるのは安芸広島藩上屋敷 浅野邸と豊後杵築藩上屋敷 松平邸です。
浅野邸は現在は外務省などが建っている場所で、松平邸は警視庁が建っています。
安芸広島藩と杵築藩.jpg

安芸広島藩と杵築藩2.jpg

これは近江彦根藩上屋敷 井伊邸で、安藤広重が描いた「赤門」を再現したそうです。
現在は国会前庭北地区となっている場所です。
彦根藩邸1.jpg

門をくぐった裏側はというとやっぱりセットでした。
扉の金物などはシナベニアを加工して金色に塗装して仕上げていました。
それが映画になるといかにも本物に見える映像となるのですね。
コストをかけずにいかに本物に見せるかという工夫や作り込み方を垣間みた気がします。
彦根藩2.jpg

ここはオープンセットだけでなく、桜田門外ノ変に関する資料をはじめ、映画「桜田門外ノ変」の紹介した展示をしている記念展示館もありました。

続く.....。




番他32_偕楽園_111 [番外編 他スタンプ]

番他32_偕楽園_111.jpg図柄:梅と好文亭
押印日:2011.3.3
スタンプ設置場所:どこで押印したか記憶にない。

弘道館からてくてく歩いてみるとちょっと距離がありましたが、日頃の運動不足の解消と思いながら偕楽園まで向かいました。

偕楽園も弘道館同様に東日本大震災により大きな被害を受け、現在は部分的に開園してはいるものの、まだ立入り禁止区域もあります。ホームページを見ると来年の梅まつりを目標に全面開園できるように復旧工事が行なわれています。

さてパンフレットによれば「偕楽園は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公:1800〜1860)が自ら造園計画の構想を練り創設したもので、名園として名高く日本三公園の一つに数えられています」とあり、また「偕楽園の名称は、中国の古典である「孟子」の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節から取ったもの」だそうです。

偕楽園と弘道館にある梅は両方合わせると約110種、三千数百本にもなるそうで、本数もさることながら、種類が多いのに驚かされました。
その中でも花の形、香り、色などが特に優れた6品種を選び、昭和9年(1934年)に「水戸の六名木」とし、それらを観賞することができます。
ちなみにその六名木は「白難波」、「月影」、「烈公梅」、「江南所無」、「柳川しだれ」、「虎の尾」の六種になります。
残念ながら、写真は違う種類のものだったと記憶しています。
そのほとんどが、まだ3〜5分咲いていたか、いなかったかという状態だったと思います。
とにかく種類が多くて、ネームプレートを見ないとどの梅の木が何という名前の木なのかさっぱり分からない状態でした。
偕楽園の梅1.jpg

偕楽園の梅2.jpg

偕楽園の梅3.jpg

こちらは偕楽園内にある二層三階の好文亭という建物で、徳川斉昭が別邸として、また藩内の人たちと楽しむ場として建てられたものです。
空襲や落雷で2度ほど焼失しているので現在のものは復元建築ではありますが、同様に今回の震災で被害を受けて、復旧工事はおこなわれているものの現在もなお立入り禁止となっています。
好文亭.jpg

これは斉昭の創意によるものと伝えられている配膳用昇降機のシャフト部分。
好文亭ダムウェータ.jpg

最上階は楽寿楼とよばれ、千波湖を一望できます。
好文亭から千波湖を見る.jpg


隣接する千波公園を含めた偕楽園公園の広さは300haあり、都市公園としてはニューヨークのセントラルパークに次ぐ世界2位の広さだそうです。
とにかく広いんです!
全面復旧にはもう少し時間はかかると思いますが、またゆっくり梅を見にきたいですね。




番他31_清澄庭園_105 [番外編 他スタンプ]

番他31_清澄庭園_105.jpg図柄:清澄庭園
押印日:2011.2.5
スタンプ設置場所:清澄庭園

次に清澄庭園に向かいました。
都立9庭園としては5つ目の庭園訪問です。
この清澄庭園は豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられ、享保年間には久世大和守の下屋敷となり、明治11年に岩崎弥太郎が買い取り、明治13年に深川親睦園として竣工し、明治24年には回遊式築山林泉庭園として完成しました。
関東大震災後、東京市に東半分を寄贈され、昭和7年(1932年)に一般公開されました。
清澄庭園.jpg

人になれたアオサギなのか、近寄っても逃げようとしませんでした。
この時のメモによれば確認した野鳥は、キンクロハジロ、カルガモ、ホシハジロ、カイツブリ、アオサギ、ユリカモメ、バン、シジュウカラ、ヒヨドリだった。
アオサギ.jpg

冬は平野部でもいろいろ野鳥を楽しめる季節。
もう少しでまたその季節がやってくる。
楽しみだな。




番他29,30_丸子宿丁子屋_101,102 [番外編 他スタンプ]

番他29_丸子宿とろろ汁_101.jpg番他30_丸子丁子屋_102.jpg図柄:No29:とろろ汁、No.30:丸子丁子屋
押印日:2011.1.29
スタンプ設置場所:丸子丁子屋店内

東海道五十三次の20番目の宿場である鞠子宿。
現在でも広重が描いた「丁子屋」で名物のとろろ汁を食することができる。
というわけでお昼を食べに丁子屋さんに向かいました。

芭蕉の句に「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」とあったり、駿府出身の十返舎一九が書いた弥次さん喜多さんでおなじみの「東海道中膝栗毛」のなかでもとろろ汁屋の夫婦げんかの話がでてくるほど、名物のとろろ汁。

店内には十返舎一九の像もありました。
たまたまスタンプ発見!押印。

丁子屋.jpg

丁子屋のれん.jpg

自分は定食の駿河というものをいただきました。
とろろ汁は皮ごと自然薯をすりおろしたものだそうで、弾力性がすごくとてもおいしくいただきました。最初、量はちょうどいいぐらいかなと思いきや、満腹中枢を刺激する量でした。
丁子屋駿河.jpg

今回初めて来たのですが、雰囲気もいいし、歴史もあるし、また機会を見つけて来てみたいですね。




番他28_日本平ロープウェイ_099 [番外編 他スタンプ]

番他28_日本平ロープウェイ_099.jpg図柄:日本平ロープウェイ 富士山
押印日:2011.1.29
スタンプ設置場所:日本平ロープウェイ乗り場

次に向かったのはちょうど社殿が国宝指定を受けたばかりの久能山東照宮。
前回、来たのが小学生だったかな?
ということは○○年ぶり。
日本平山頂と久能山東照宮を結ぶ日本平ロープウェイは昭和32年(1957年)に運転が開始され、50年以上の歴史があるロープウェイです。
ロープウェイは殿号と姫号がありましたが、行き帰りとも姫号乗車となりました。

久能山ロープウェイ乗り場.jpg




番他27_氷川丸5_095 [番外編 他スタンプ]

番他27_氷川丸機関室_095.jpg図柄:エンジンテレグラフ
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:氷川丸機関室

氷川丸のスタンプとしては今回が最後になります。
図柄にあるものはエンジンテレグラフというものだそうです。
写真に撮っておけば良かったのですが、撮っていませんでした。
このエンジンテレグラフというものは船の速度や前進、後進に関する機関の回転方向や回転速度を艦橋から指示を伝えるもので、両舷機に対して設置されています。
どこからか徳川機関長の声がしてきそうな、なんて想像しながらみてまわりましたが、機関室は実際に運航している際は相当な熱気や音がしそうな過酷な空間のように感じました。

氷川丸機関室1.jpg氷川丸機関室2.jpg
氷川丸機関室3.jpg
氷川丸機関室4.jpg氷川丸機関室5.jpg
右側の写真にあるのは竣工時の電話機だそうです。
氷川丸窓より外を見る.jpg
見て廻っているうちに外もだいぶ暗くなってきました。

さて次は......。


番他26_氷川丸4_094 [番外編 他スタンプ]

番他26_氷川丸操舵室_094.jpg図柄:氷川丸操舵室
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:氷川丸操舵室付近?

氷川丸操舵室。
なんかこういう場所に来るとテンションが自然と上がってくる。
神棚にはちゃんと氷川神社のお札がありました。

たしかこの裏には無線があったり、この上だったかな?船長室があったと思うが。
写真を撮っていなかったので記憶が既に曖昧になっている....。

氷川丸操舵室.jpg

番他25_氷川丸3_093 [番外編 他スタンプ]

番他25_氷川丸階段手摺_093.jpg図柄:氷川丸中央階段手摺
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:氷川丸中央階段付近?

スタンプを押印した場所はあいまいですが、図柄にある手摺の模様は確かに氷川神社の紋章である「八雲」である。

毎年初詣に行く氷川神社なので、こうしたデザインの中にもつながりを発見すると妙にうれしく感じてしまう。

氷川丸手摺文様.jpg

氷川丸中央階段.jpg氷川丸喫煙室.jpg

右側の写真は折り上げ天井の天窓が印象的な一等喫煙室。
自分はたばこを吸わないのでその至福のひとときというものがわからないのですが、おそらくセレブな愛煙家たちが食後に一服しながら談笑する社交場として使っていたのでしょうね。


番他24_氷川丸2_092 [番外編 他スタンプ]

番他24_氷川丸一等社交室_092.jpg図柄:氷川丸一等社交室
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:氷川丸一等社交室

船内は客船エリアと乗務員エリアと展示エリアとあり、氷川丸の歴史を感じながら見ることが出来ます。
一等社交室は客船の代表的な公室だそうで、アール・デコ調の装飾が目を引きます。
内装はフランス人工芸家のマーク・シモンが手がけました。
また一等食堂では当時のディナーの様子が再現され、当時の豪華な船旅の様子がわかります。

なかなか一般庶民が乗船できるような船ではないし、この場所で当時、どんな会話がされていたのでしょうか?
現在、こうして一般公開されることによって、戦前の大型客船のこのような豪華な船内意匠を見ることが出来るのは貴重な遺構ですね。

といっても20年以上その存在を知りながら、中に入るのは今回が初めてでしたけど......。

氷川丸一等社交室.jpg氷川丸一等食堂.jpg

番他23_氷川丸1_091 [番外編 他スタンプ]

番他23_氷川丸_091.jpg図柄:氷川丸
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:氷川丸
次は氷川丸です。
山下公園に来るといつも気にはなっていたのですが、今回中に入るのは初めてです。
2003年(平成15年)には横浜市指定有形文化財に指定されましたが、こちらもマリンタワー同様一旦、営業が終了し、2008年(平成20年)にリニューアルオープンしました。
船名である氷川丸は大宮にある「氷川神社」にちなんでつけられたものだそうです。
気にしてはいなかった名前もそう聞くとなんか親近感を覚えます。

氷川丸1.jpg


氷川丸2.jpg


たまたまスタンプラリーがありましたので少し氷川丸のスタンプが続きます。




番他22_小石川後楽園_075 [番外編 他スタンプ]

番他22_小石川後楽園_075.jpg図柄:大堰川
押印日:2010.3.31
スタンプ設置場所:小石川後楽園
小石川後楽園もお初でした。
ここは江戸時代書記に水戸徳川家の祖である頼房が中屋敷の庭として造ったもので、二代目の光圀の代で完成した庭園だそうです。
ここも「回遊式築山泉水庭園」で、各地の景勝を模したつくりがなされています。
図柄になっている大堰川も京都嵐山の大堰川にちなんだもので、以前は神田上水から水車で水をくみ上げて流していたようです。
また特別史跡と特別名勝の二重指定を受けていて、都立庭園ではここと浜離宮だけで、全国では金閣寺、銀閣寺をはじめ9カ所だけだそうです。

さて1日に3カ所の花見はちと欲張りすぎましたね。
小石川後楽園に着く頃はだいぶ日が暮れて薄暗くなってました。
上中里の駅から旧古河庭園、六義園、根津神社を経由して、名物根津のたいやきをつまみながら、昼食はランチタイムぎりぎりではん亭に滑り込み、そして小石川後楽園まで歩いていきました。
途中、東大農学部と工学部の境に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑を横目にみながら、普段は地下鉄に乗ってしまう場所も、歩いているといろいろ偶然に見つけるものがあります。

根津神社と大正8年(1919年)に建てられた木造の根津教会
根津神社.jpg根津教会.jpg
はん亭と弥生式土器発掘ゆかりの地の碑
はん亭.jpg弥生式土器発掘ゆかりの地.jpg
下の写真の本郷館は偶然見つけたのですが、これは明治38年(1905年)に建築された木造3階建ての部屋数70室前後のかなり大規模な下宿屋。都市のど真ん中、それも関東大震災や東京大空襲の中生き残ってきた築106年になる建物。このような建物が存在しているのを知らなかったので、正直ビックリした。老朽化しているとはいえ、現在も使われているところを見ると、建物の寿命は使う側にも原因があるのは確かだと思う。この周辺には鳳明館や求道会館など歴史的建物がいくつか見られた。
※本郷館はこの夏解体され、現在は更地になっています。残念。
本郷館.jpg

小石川後楽園の桜も見頃でした。
小石川桜.jpg

円月橋.jpg小石川桜2.jpg
都内には都立の庭園が9つあります。いくつかまだ行ったことがないものがあるので、機会を見つけて行ってみたいと思います。



番他21_六義園_074 [番外編 他スタンプ]

番他21_六義園_074.jpg図柄:しだれ桜
押印日:2010.3.31
スタンプ設置場所:六義園 受付
六義園は元禄15年(1702年)に7年の歳月をかけて川越藩主柳沢吉保自ら設計した回遊式築山泉水庭園として完成。広さは旧古河庭園に比べるとおよそ3倍の87,809㎡
旧古河庭園から歩くこと20分。
六義園に到着。
入口は入園を待つ人が行列を作っていました。
ここのしだれ桜は有名なのは知っていましたが、バスツアー客もいたりしてかなり混雑していました。
自分はテレビを見て来た口なので、混雑原因の一人かもしれません。
しかし人の混雑などおかまい無しという感じで、しだれ桜は見事に咲いていました。
ただ天気が曇りだったせいで、写真はあまりいいものが撮れませんでしたけど.....。
六義園しだれ桜1.jpg

六義園しだれ桜2.jpg




番他20_旧古河庭園_073 [番外編 他スタンプ]

番他20_旧古河庭園_073.jpg図柄:旧古河庭園 洋館
押印日:2010.3.31
スタンプ設置場所:旧古河庭園 受付
この庭園は東京都北区にある都立庭園で、最寄りの駅はJRの上中里駅か東京メトロ南北線の西ヶ原で、徒歩7〜8分くらいのところに位置します。
昨年、花見がてらに都内の庭園をまわりました。
この旧古河庭園も以前から一度来ようと思っていてなかなか訪れる機会がなく、今回が初めてでした。
庭園内に建つ洋館と前庭の花壇はジョサイア・コンドルが設計。1917年に古河虎之助の邸宅として造られ、日本庭園部分は小川治兵衛により作庭された、和洋が一体となった庭園となっています。
当日は天気があまり良くなくて、写真があまりよくないのですが、青空だと洋館がとても映えるのですがね。
ただ園内のしだれ桜がちょうど見頃だったと記憶しています。
ここの庭園では春と秋にバラのフェスティバルが開催されています。今年は10月15日から「秋のバラフェスティバル」が開催されるようです。
洋館は庭園の入園料とは別途に525円かかりますますが、見学(事前予約)は可能です。ここへ来たらぜひ洋館と庭園はセットで見学したいですね。
旧古河庭園.jpg




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