番他39_皇居東御苑2_124 [番外編 他スタンプ]
図柄:天守台 皇居東御苑入園
押印日:2011.7.13
スタンプ設置場所:本丸休憩所(たぶん)
江戸城天守台。
たしかな史料はないが、まず家康によって慶長12年天守が完成し、2代目の秀忠の代で天守を改築し、本丸最北部へ移動し築城したといわれている。しかしこれについても確かな史料はないようです。家光の代になると銅瓦葺きの5層大天守が完成しましたが、1657年におこった明暦の大火で、飛び火により天守、本丸御殿、二の丸御殿などが焼失。それ以後、再建計画がまったくなかったわけではありませんが、天守閣が再建されることはありませんでした。一個人と歴史人の特別編集された別冊の「戦国武将の城」では、CGで慶長度天守(家康)、元和度天守(秀忠)、寛永度天守(家光)、そして幻の4度目の天守が再現されています。
またその大きさは全国の天守の中でも群を抜いて大きい。
もし実際に残っていたらこれはかなりすごい文化遺産となっていたことだと思いますし、今また江戸城を再建しようという動きもあります。
天守台から南を見ると、ちょうど芝生広場から天守台手前ぐらいにいわゆる大奥があったとされています。
江戸時代、庶民はここに立つことはありえないわけで、なんか不思議な感じです。
平日だったからか意外と人も少なく、高層ビルは見えるけれど、東京であることを忘れさせてくれる静けさであり、穴場スポットかなと思いました。(たまたまだったかもしれないし、休日は混んでるのかもしれませんが)
東京の真ん中にこれだけ広大な場所が残っているのはとても貴重です。
もう少し、歴史的遺構があってもいいかなと思うのは贅沢かな。
しかし皇居は近場で江戸東京を気軽にタイムトリップできる場所の一つですね。
押印日:2011.7.13
スタンプ設置場所:本丸休憩所(たぶん)
江戸城天守台。
たしかな史料はないが、まず家康によって慶長12年天守が完成し、2代目の秀忠の代で天守を改築し、本丸最北部へ移動し築城したといわれている。しかしこれについても確かな史料はないようです。家光の代になると銅瓦葺きの5層大天守が完成しましたが、1657年におこった明暦の大火で、飛び火により天守、本丸御殿、二の丸御殿などが焼失。それ以後、再建計画がまったくなかったわけではありませんが、天守閣が再建されることはありませんでした。一個人と歴史人の特別編集された別冊の「戦国武将の城」では、CGで慶長度天守(家康)、元和度天守(秀忠)、寛永度天守(家光)、そして幻の4度目の天守が再現されています。
またその大きさは全国の天守の中でも群を抜いて大きい。
もし実際に残っていたらこれはかなりすごい文化遺産となっていたことだと思いますし、今また江戸城を再建しようという動きもあります。
天守台から南を見ると、ちょうど芝生広場から天守台手前ぐらいにいわゆる大奥があったとされています。
江戸時代、庶民はここに立つことはありえないわけで、なんか不思議な感じです。
平日だったからか意外と人も少なく、高層ビルは見えるけれど、東京であることを忘れさせてくれる静けさであり、穴場スポットかなと思いました。(たまたまだったかもしれないし、休日は混んでるのかもしれませんが)
東京の真ん中にこれだけ広大な場所が残っているのはとても貴重です。
もう少し、歴史的遺構があってもいいかなと思うのは贅沢かな。
しかし皇居は近場で江戸東京を気軽にタイムトリップできる場所の一つですね。
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