日本100名城11_二本松城_34 [日本100名城スタンプ]
11_二本松城
スタンプ設置場所:二本松市歴史資料館受付窓口
押印日:2016.7.29
今日は小寒で、いわゆる寒の入り。
昨日まで暖かく過ごしやすかったのですが、いよいよ本格的な寒さになると思うとちょっとしんどい。
さて新年一発目。
日本100名城スタンプです。
昨年の7月末に福島に行った時に立ち寄りました。
スタンプ自体は二本松市歴史資料館にあったので、まずそこに行ってスタンプを押印。
その後、時間の関係で城址までタクシーで行くことに。
二本松城は標高345mの白旗が峰に築かれた平山城で、石垣と再建された箕輪門、附櫓があり、天守台や本丸石垣も整備されています。
市内を一望できて眺めは良かったですね。
二本松少年隊群像
まだペースがつかめていないので、不定期更新となると思います。
少しずつペースがつかめればと思っています。
皆様のところへは少しずつご訪問できればと思っていますので、ご了承を。
これから本格的な寒さとなりますので、体調管理にはお気をつけください。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城15_足利氏館_33 [日本100名城スタンプ]
15_足利氏館
スタンプ設置場所:本堂
押印日:2016.5.2
ちょっと半袖だと涼しい感じがしましたが、今日もいい天気でした。
残り少ない晴れ間を楽しみたいところですね。
しかしなかなかスケジュールが。。。
それにあっという間に一週間が過ぎていく〜
さてしばらく続いていました日本100名城スタンプも今回で在庫が終了。
ようやく1/3です。
残りの2/3は回りきれるのだろうかと思いながら、一つ一つ機会を見つけて回っている次第ですが。。。
今日は栃木県足利市にある足利氏館です。
GWの時にあしかがフラワーパクに行った時に立ち寄りました。
当然、隣接する足利学校も行きました。
とういうわけで、毎回、少ない時間の中でてんこ盛りのスケジュールを組んで回るので、ゆっくりご当地グルメを楽しみながらなんてことができていません^^;
足利氏館は現在鑁阿寺(ばんなじ)となっています。
鑁阿寺は最初なんて読むかわからなかったですね。それに書けと言われてもすぐには書けません。
観光協会のホームページによれば『源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196年)邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が堂塔伽藍(がらん) を建立し足利一門の氏寺としました。寺伝によれば、義兼により開創され、開山は理真上人です。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000㎡あり鎌倉時代の武家屋敷( 平城) の面影を今に伝えており、 大正11年3月、「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されています。』とありました。
鎌倉時代の地方武士の館の姿を伝える貴重な遺構でもあります。
本堂は国宝に指定されており、経堂や鐘楼などは重要文化財に指定されています。
国宝の本堂
栃木県指定有形文化財の多宝塔
樹齢550年前後と推定されるイチョウ。
栃木県指定天然記念物
おまけ
渡良瀬川を渡っている時にコーンって鳴き声がし、河川敷を目を凝らして探してみると、キジさんがいました。100m以上離れていたかな?
とにかく肉眼ではほとんどわからない感じで、自分でもよく見つけたなと思う距離でした。
キジを写真に撮れたのは初めてでした。
双眼鏡でよく見ると隣にはメスが、近くで雛が動いているのも確認できました。
他にホオジロ
ツバメ
さて次はどこのお城を攻めいるか思案中です。
東か西か。。。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城25_甲府城_32 [日本100名城スタンプ]
25_甲府城
スタンプ設置場所:甲府城内(稲荷櫓)
押印日:2016.4.6
今日から6月ですね。
衣替えでもあります。
日中は暑いくらいですが、まだ朝晩は冷えますね。
半袖だとちょっと寒いですね。
今年の梅雨入りはいつになるんでしょうね。
今のところ今週はまだ天気が良さそうなので、大丈夫かな。
さて引き続き日本100名城スタンプです。
今日は同じ甲府市内にある甲府城です。
甲府といえば武田信玄のイメージが強すぎて。甲府城の存在は100名城を回るようになって知りました。
甲府市のホームページによれば「武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。かつては20haほどの広大な城郭でした。
現在は、城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されています。」
天守台はありましたが、天守が建てられていたかどうかは不明だそうです。
中央線で一部分断されてしまっているところはあるものの、現在、史跡の整備や復元計画なども進み、幾つかの建造物が復元されています。
また2年前には天守閣の復元を求めて著名活動があり、10万人以上集まったようです。
その後どうなったかはちょっとわかりませんが、イメージではかなり立派な天守ですね。
山手渡櫓門
甲府城の石垣
奥に見えるのが天守台
天守台から見る甲府市内
天守台から見る稲荷櫓(復元)
県名の由来のひとつとも言われている城内に咲いていたヤマナシ
天守台から見えた富士山
家から見える富士山とまた違う雰囲気、大きさ
ここ最近、出かけても日帰りが多いので、一泊でもいいので旅行に出かけたい。
出かけたいと思うだけでは結局行けないので、スケジュールを決めてしまえばいいのですが。。。。
暖かくなってきてるとはいえ、朝晩はまだ冷えますので油断しないようにお気をつけください。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城24_武田氏館_31 [日本100名城スタンプ]
24_武田氏館
スタンプ設置場所:神符授与所
押印日:2016.4.6
5月も今日で終わりですね。
まだ朝晩は冷えますが、日中は汗ばむ感じです。
例年だと来週ぐらいには梅雨入りでしょうか。
引き続き日本100名城スタンプです。
今日は山梨県甲府市にある武田氏館(武田神社)です。
ここには4月神代桜を見に行った帰りに寄りました。
武田氏館は躑躅ヶ崎館とも呼ばれ、信玄の父、信虎が、永正16年(1519)に石和から館を写した頃に始まり、その後、信玄、勝頼と3代にわたって約63年続いた館です。
現在の跡地は武田信玄を祭神とする武田神社となっています。
武田神社は大正時代にできた神社で新しいですが、武田氏館跡として国の史跡に指定されています。
駅まで一直線の桜並木
拝殿
宝物殿
なぜか傍にキティちゃんが。。。
ここにもさざれ石がありました。
さて明日から6月。
今月は後半、バテ気味でしたので、来月はなんとか順調にいきたいものです。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城60_赤穂城_30 [日本100名城スタンプ]
60_赤穂城
スタンプ設置場所:本丸櫓門下
押印日:2016.3.16
5月もあと2日で終わりですね。
後半ちょっと更新が息切れ状態になってますが、しばらくこんな状況が続くと思います。
さて引き続き日本100名城スタンプです。
今日は3月に行ってきた赤穂城です。
赤穂城のホームページによれば『赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ,慶安元年(1648)より13年以上に亘る歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成したものです。(中略)本丸と二之丸は輪郭式、二之丸と三之丸の関係は梯郭式になっており、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城とされています』。
赤穂といえば忠臣蔵。
お家断絶後は永井家、森家の居城となりました。
廃藩置県後、民有地になりましたが、昭和46年、国史跡に指定され、平成14年には国名勝に指定され、現在も計画的に整備が進められているそうです。
本丸門1
本丸門2
本丸櫓門
スタンプはここに置いてありました。
ここは展示室になっているようで、1年のうち、特定の土日、祝日に一般公開をしているそうだ。
本丸御殿跡から天守台を見る
天守台から見たところです。
大手隅櫓
石垣
大正元年に三之丸に建立された大石神社。
参道には47士の像が並んて建っていました。
大石内蔵助の像
今日は雨模様ですが、その後は梅雨前の最後の晴れ間になるんででしょうか。
今年もあっという間に5ヶ月が過ぎようとしています。
時間は止まってくれません。。。
ちょいと時間が足りなくなってきている感じです。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城85_福岡城_29 [日本100名城スタンプ]
85_福岡城
スタンプ設置場所:鴻臚館跡展示館
押印日:2016.3.1
梅雨が近づいているせいか、蒸し暑い日が続いていますね。
もう少しカラッとした天気が続いて欲しい今日この頃です。
今日も引き続き日本100名城スタンプです。
今日は福岡城のスタンプです。
これは完全に押印失敗しました^^;
100名城スタンプ帳に押印しているので、一発勝負。
押し加減を間違うとこのように抜けてしまったり、図柄が潰れてしまうケースがあります。
太宰府から福岡市内に戻り、福岡城に向かったのですが、飛行機の時間もあって毎度のことながら急ぎ足でした。
押印場所の鴻臚館跡展示館を目指していくと広い公園の奥に建物が見えた。
なんか球場の跡地っぽいと思っていたら、そういえば平和台球場が昔あったことを思い出し、その跡地だということに気づいた。
鴻臚館というのは平安時代に築かれた外交のための迎賓館のことで、平安京(京都)と難波(大阪)と筑紫(福岡)の3カ所に設けられ、唯一遺跡が確認されているものだそうです。
予備知識もないまま、とりあえず100名城スタンプを押印。
ちょっと中を見ることに。
ところが、飛行機の時間を考えるとこの先にある福岡城を見て回る時間がなさそうなことにこれまた気づいたのである。
また福岡に来るようなことがあれば、見に来ようと決意し、その場を後にした。
結局、けっこうギリギリの時間で飛行場について無事帰宅することができた。
しかし毎度のことながらもあれもこれもとなりすぎるのが、いけない。
お土産もゆっくり見る時間もありませんでした^^;
それに福岡城について何も書いていないことにも気づく。。。
鴻臚館跡展示館
鴻臚館跡展示館内部
さて今日の写真はバラの続きです。今回も写真の羅列になってます^^;
5月も残り少なくなってきた。
なんだかんだで今年も5ヶ月が経とうとしている。
1年なんてあっという間ですね。
暑くなってきているので、水分補給は忘れずに。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城86_大野城_28 [日本100名城スタンプ]
86_大野城
スタンプ設置場所:太宰府展示館
押印日:2016.3.1
最近、更新が不定期になりつつある。
できるだけ毎日したいところであるけれど、なかなかそうはいかない時もあるので、とりあえずマイペースで行こうと思う。
それにしても暑いですね。
ただ湿度が真夏に比べれば低いからか、まだ大丈夫。
とはいえ、今日は風も強く蒸し暑かったので、思わず扇風機を出してしまった^^
さて今日は引き続き日本100名城のスタンプです。
今日は大野城です。
佐賀から福岡に移動。一泊して帰るまでの時間を利用して太宰府へ行きました。
大野城でググると越前の天空の城、大野城の方が上位にくる。
おそらく福井の大野城の方が一般の方には知られているのでは。
大野城は日本最古の古代の山城で、国の特別史跡に指定されています。
やはり古代となると時代があまりにも前過ぎてなかなか実感はできない。
時間の関係もあって、結局大野城跡まで足を運ぶことができなかった。
スタンプは太宰府展示館に置いてあったので、とりあえずそこまで太宰府天満宮から歩いて行った。
太宰府展示館の手前に観世音寺があったが、今回はスルーした。(この時はどんなお寺か知らなかった)
その後、BS日テレで放送中の『ぶらぶら美術・博物館』で福岡特集の回で観世音寺を紹介しているのを見て、日本最古の梵鐘があったり、重要文化財の仏像など数多くの仏教美術が展示されてた。
もう少し、時間があったら立ち寄っていたかもしれないのに、と思いながら次回来るとがあるようならば、寄ってみたい。
というわけで、今回もスタンプだけ押印しただけになってしまいました^^;
太宰府展示館
観音寺収蔵庫
この時はなんか建物が建ってるなぁという感じで写真だけ撮っておいた。
さて今日の写真は先日、伊奈にあるバラ園に行ってきました。
ちょうどピークだったので、堪能できました。
何回かにわたってアップします。
バラの種類が多すぎてどれが何バラかメモせずに写真だけ撮りましたので、写真の羅列になります^^;
珍しいことに今年はまだ台風が発生していないようですね。
暑さもさることながら、台風も夏に集中して発生するようなことになると、どうなっちゃうのかな?
なんて思いながら、自然のなすがまま、大きな自然災害につながるような台風はできるだけ発生しないように祈るばかりです。
暑い日が続きますが、熱中症にはお気をつけください。
皆様のところへは随時伺いたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城88_吉野ヶ里_27 [日本100名城スタンプ]
88_吉野ヶ里
スタンプ設置場所:吉野ヶ里歴史公園東口
押印日:2016.2.29
天気は良くとも朝晩はまだ冷えますね。
でもこのくらいが過ごしやすいのですが。
今日も引き続き日本100名城スタンプです。
今日は吉野ケ里遺跡です。
吉野ケ里遺跡が発見されたのがつい最近のような気がするけれど、もう30年前なんですね。
一度行ってみたいと思っていたら、佐賀から電車で15分くらいのところだというので行ってみました。
一瞬、吉野ケ里遺跡が日本100名城?という気もしましたが、日本100名城の解説によれば、選定基準として1.優れた文化財・史跡であること、2.著名な歴史の舞台であること、3.時代・地域の代表であること、の3基準によって選定され、吉野ケ里遺跡は原始・古代の時代・地域の代表として選ばれたもの。
吉野ヶ里は弥生時代前期から後期を代表する周囲を二重三重に壕を巡らした「城」のルーツともいうべき環壕集落。
いざ、吉野ケ里歴史公園まで行ってみたものの、この日は晴れたり曇ったり、おまけに風もかなり強く、時折、雪が混じり、吹雪のようになってかなり寒かった。
春はすぐそこという2月末、それほど厚着をしてきたわけでもないので、テンションが下げ下げムードでした。
というわけでゲートまで行って復元された建物を遠くに眺めつつ、スタンプを押して駅に引き返しました。とにかく体温を吸い取られる感じというか、雪かよ、という感じでした。
それでもちらほら入っていく観光客はいたのですが、全部で10人も見かけなかったような日でした。
今度、来るような機会があればゆっくり回りたい。
マスコットキャラクターのひみかがお出迎え
もう一人やよいというキャラクターがいて兄妹という設定です。
ちなみにひみかが兄でやよいが妹。
遠くに見える復元された建物
近くまで行きたかったぁ〜。
道中に佐賀県の県鳥のカササギが。。
生息地を定めた国の天然記念物にも指定されていて、佐賀県では「カチカチ」という鳴き声からカチがラスト呼ばれている。
昨日、近くにあるあじさいロードを歩くとすでにあじさいが咲いていた。
季節は気づかないうちに進んでいますね。
夏もあっという間に来そうです。
朝晩冷えますので、体調管理にはお気をつけください。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城89_佐賀城_26 [日本100名城スタンプ]
89_佐賀城
スタンプ設置場所:佐賀城本丸歴史館受付
押印日:2016.2.29
朝夜は少し冷えますが、日中はこの時期らしいカラッとした天気でした。
このくらいの湿度だと日中は暑くても平気なんですが、湿度が上がってくる夏を思うとぐったりですね。
まあその前に梅雨もありますが。。。
さて今日もひき続き日本100名城スタンプです。
今日は今年の2月末に行った佐賀城です。
Wikiによれば佐賀城は外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城であり、「佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられている。城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。また城郭と城下町の完成予想図と思われる「慶長御積絵図」とは異なる部分が多く、厳密には未完成の城である」
1874年に江藤新平を中心とした佐賀の乱で建物の大半を失い、現存する鯱の門及び続櫓は国の重要文化財に指定されています。また2004年に天保年間完成の本丸御殿を復元した佐賀県立佐賀城本丸歴史館が完成している。
出張で佐賀まで来ていたので、立ち寄る時間も限られていたため、十分に時間が取れなかった。
もう少し時間に余裕があればよかったが、そういうわけにもいかず、次回来る機会があれば観光のみで佐賀に来てみたい。
天守台と鯱の門
鯱の門
佐賀県立佐賀城本丸歴史館
時間があればゆっくりと説明を聞きながら、回りたいところでしたが、前述したように時間がなかったので一通り見て佐賀城を後にしました。
毎回、時間を十分にとって見て回るということができないというか、あれもこれもというのが多すぎるのかな。。。たぶん。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城36_丸岡城_25 [日本100名城スタンプ]
36_丸岡城
スタンプ設置場所:一筆啓上茶屋
押印日:2015.12.1
今日は天気も良く、富士山も見えました。
1週間くらい天気が良さそうなので写真でも撮りに行きたいところですが。。。。
そういえば2回目の若冲展と思っていましたが、今日はシルバーデーということもあって最高320分待ちだった。会期末も迫ってきていることを考えると混雑具合は毎日3時間近いのが現状。
ということで、1回見ているので2回目は諦めモードになっている。
それにしても5時間以上とは恐れ入った。
さて今日も日本100名城スタンプです。
金沢から少し足を伸ばし、丸岡城まで行った。
ご存知のように丸岡城、別名霞ヶ城は現存する12天守の一つで現存する最古の建築様式を持つ平山城で、国の重要文化財です。
屋根瓦は寒冷地ということもあってか石瓦となっています。
案内所にレプリカだったかな、石瓦が置いてあったので持ってみたら、かなり重たかったです。
あと現存12天守で行ってないのは松江城、丸亀城、高知城の3つ。
いつ行けるかな。
もう少し雲がなければ青空をバックに天守の写真が撮れたんですが。。。
これもタイミングと運ですね^^;
丸岡城天守
笏谷石製の石瓦
この階段はきつかったです。
日中は暑く感じますが、朝や夜はまだ冷えますね。
半袖で油断して体調を崩さないようにしなくては。
皆様もお気を付けください。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城35_金沢城_24 [日本100名城スタンプ]
35_金沢城
スタンプ設置場所:二の丸案内所
押印日:2015.11.29
二日ほど空いてしまいました^^;
今日は朝から雨で、午後には止みましたが、半袖を着ていたらちょっと肌寒く長袖に着替え直しました。
それにしても昨日の地震は久々に緊急地震速報が鳴って、驚きました。
震源が近かったせいか、揺れ始めてから鳴りました。
直下型の場合は緊急地震速報も役立たないかもしれないけれど、東日本を経験した日本人にとってはなくてはならないシステムになっているような気がしますね。
さて今日は日本100名城の金沢城です。
北陸新幹線に乗って、昨年末に行ってきました。
何度か金沢に来たことがありましたが、金沢城を訪れたのは初めてでした。
ご存知のように江戸時代には加賀藩主前田氏の居城となったお城です。
公園整備や櫓の復元も進んで、見所も多くありました。
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓
内部
重要文化財の三十間長屋
内部
小屋組
金沢城は色々な石垣が楽しめます。
時間の関係で全部は見て回れませんでしたが、それでも色々と見れました。
ちょっと写真の羅列になってしまいました^^;
これから皆様のところにお邪魔しますので、ご了承を。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城12_会津若松城_23 [日本100名城スタンプ]
12_会津若松城
スタンプ設置場所:天守閣内売店
押印日:2015.10.21
今日は午前中に高校時代の同級生たちと渋谷で卓球大会。
思った以上に汗だくになりながら、おじさん、おばさんが3時間もやりました。
明日は筋肉痛かな?
いや明後日くらいだろうか。
ということで風景印関係が続きましたので、久しぶりに100名城スタンプです。
今日は昨年10月に登城した鶴ヶ城こと会津若松城です。
四半世紀以上ぶりにきました。
当然、赤瓦になって初めてです。
記憶の奥底にあったイメージとだいぶ違っていましたね。
子供の頃の記憶なんてそんなものですね。
展示室も全面リニューアルされていてとても綺麗でした。
天守からの眺め
ここにもいましたゆるキャラ。
お城ボくん
このデザインはどこかで見たような、と思っていたら、会津若松出身で、タイムボカンシリーズなどでおなじみの笹川ひろしさんのデザインだった。
お城自体がキャラクターになっているのは色々あると思うが、メカニックな感じが笹川さんらしい。
そういえば会津若松駅にもいました。
なかなかいい天気は続きませんね。
月曜日からはまた天気が崩れそうです。
明日はちょっと写真を撮りに出かけようかな。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城82_大洲城_22 [日本100名城スタンプ]
82_大洲城
スタンプ設置場所:台所櫓入口(大洲城内入口)
押印日:2014.12.18
愛媛県100名城シリーズ最後は大洲城です。
一昨年末に松山を起点に愛媛県内で100名城に認定されている5つのお城をめぐりました。
日程の都合上、十分な時間が取れなかったものもありましたが、短期間にこれだけのお城をまわったのは初めてでした。
大洲城の観光情報のホームページによれば「肱川の河畔に望む大洲城は、元弘元年(1331年)鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。
明治維新後は、城内のほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、明治21年(1888年)老朽化により、惜しくも天守は解体されました。
その後、大洲城を愛する地元住民の城郭への保護活動と、市民による寄付等によって平成16年(2004年)に復元されました。
四層四階の複連結式天守の復元にあたっては、明治時代の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料を基に当時の姿を正確に復元されました。このように復元に必要な多くの資料が残っていることは大変稀なことで、大洲城の天守の復元は、まさに地元住民の想いと、史料研究の集大成と言えます。
現在、江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓は国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されています。」とあります。
大洲城は木造で復元されているのですが、よくRCで作られた模擬天守などがありますが、やはり木造の方がいいですね。
現存するものもいいのですが、改めて新しく木造で復元された天守もいいものだと感じました。
もしこれから復元をしようという天守があるならば、いろいろと法律や消防的な障壁があるとは思うけれど木造で、できるだけ復元して欲しいですね。
電車内から見た大洲城
大洲城全景1
大洲城全景2
大洲城天守
大洲城天守模型
天守内部1
天守内部2
普請風景ジオラマ
高欄櫓内部
毎度のことながら時間がタイトなスケジュールのために大洲の街を散策するのに十分な時間がなかった。
次回はいつ行けるかわからないし、もう少し時間をかけてまわりたかったなぁ。
昨夜から朝方にかけて濃霧が発生、バルコニーから不思議な光景でした。
今日からなんだかまた寒くなりそうですね。
体調崩さないように気をつけてください。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城79_今治城_21 [日本100名城スタンプ]
79_今治城
スタンプ設置場所:今治城天守閣
押印日:2014.12.17
今回も100名城スタンプです。
今日は今治城。
今治といえばタオルというイメージ。
最近は関東でも今治タオルは買えるのですが、やはり本場で買いたいと思って探したけれど、結局時間が無くて買うことが出来ませんでした。ちょっと離れたところにそういう観光施設はあったようですが、旅行する時は基本的に鉄道移動に徒歩、そしてタイトなスケジューリングなので、なかなか時間が取れない〜。
駅周辺にそういうお土産屋があると思ったけれど見つけれず、という状況でした。
駅にはバリィさんがお出迎え。
今治城は「関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいいます。
慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃と推測されます。海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城でした。寛永12年(1635)より松平(久松)氏の居城となりました。
明治維新後に建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなりました。昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)以降、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せています。」(今治城のホームページからの引用)
今治城全景1
今治城全景2
今治城天守1
今治城天守2
今治城天守3
築城の名人 藤堂高虎像
当日は風も強く寒かったし、曇っていたのですが、一瞬の晴れ間をぬって写真を撮りました^^;
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城80_湯築城_20 [日本100名城スタンプ]
80_湯築城
スタンプ設置場所:湯築城史料館
押印日:2014.12.17
今日はあいにくの雨模様ですね。
気温は高いけれど、体感温度はそれほど高く感じません。
こういうときに気を抜くと風邪を引きがちなので気を付けないと。
今日は100名城です。
道後温泉近くの湯築城。
中世の城郭で地形を利用して作られた平山城。
江戸期には伊予松山藩の管理下におかれ、明治期には都市公演や植物園として、昭和期には動物園としても利用されていたとホームページで紹介されていました。
今回は道後温泉のホテルに宿泊していたので近くだったのですが、いろいろと予定もありまずは湯築城史料館に行って見学してきました。
全体を見ることができなかったので、次回道後温泉に行くことがあればゆっくりまわってみたい。
湯築城史料館
いつものことであるが、タイトなスケジュールのため坊ちゃん列車の時間が迫っていた。
そして次に今治城へと向かったのである。
今週は水曜日くらいからまた気温が下がりそうですね。
体調管理にはお気をつけ下さい。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城83_宇和島城_19 [日本100名城スタンプ]
スタンプ設置場所:宇和島城天守
押印日:2014.12.16
まだまだ寒い日が続いている毎日ですが、春一番もそろそろ吹く予報みたいですね。
週末は4月頃の気温のようですが、来週はまた冬に戻るそうで、寒暖差が身にしみる時期になりました。
こうして春になっていくので仕方がないのですが。。。
さて今日は久しぶりに100名城。
といってもブログ的には数回前が松山城ですけど。
一昨年末松山を起点に旅行しました。
その際に宇和島まで足を伸ばしていってきました。
宇和島城はこじんまりした小さな天守であるが、現存する12天守の一つである。
当日は小雨まじりのあいにくの天気でした。
小高い山の上に建つ天守へは少し足もとを注意しながらの登城でした。
宇和島城はWikiによれば「宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭である。標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸(二ノ丸とも)を中腹に配置し、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある。現在見られる、天守などの建築は伊達氏によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。」
春も少しずつ近づいてきました。
ブログも少しずつアップのペースがあがるようにしたいな〜
と思いつつ、本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城81_松山城_18 [日本100名城スタンプ]
スタンプ設置場所:松山城天守入口
押印日:2014.12.15
昨年末に愛媛県の松山城へ行ってきました。
現存する12天守の一つ。
天守を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財になっていて、津山城、姫路城とともに三大平山城にもあげられています。
松山城は以前から一度行ってみたかったので昨年末ようやく行くことが出来ました。
やはり木造の城はいいですね。
天守から松山市内をみる
ロープウェイ乗り場のところにある松山城初代城主の加藤嘉明像。
こちらはロープウェイ乗り場手前にいた松山城のマスコットキャラクター「よしあきくん」
松山城のチケット売り場近くにもいました。
行きはロープウェイであがっていきましたが、帰りはゆっくりと歩いておりてきました。
昨年末の旅では愛媛県のすべての100名城をめぐってきましたので、次回は宇和島城をご紹介します。
暖かくなるかなと思っていたら、思ったほど気温は上がらず、風が吹くと肌寒いですね。
今週は少し暖かくなってくれるかな。
体調を崩しやすい時期ですので、お気をつけ下さい。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城29_松本城_17 [日本100名城スタンプ]
スタンプ設置場所:松本城管理事務所
押印日:2014.9.19
昨日は春の陽気で暖かく過ごしやすかったですね。
今日からまた少し気温も下がって行くようなので体調を崩さないように気を付けて下さい。
今日は現存12天守のうちの国宝四城のひとつ松本城です。
昨年の9月に行ってきました。
子供の頃、来た事があるので初めてではないのですが、100名城スタンプを収集し始めてから(大人になってから)は初めてでした。
とりあえずこれで国宝四城のスタンプはコンプリートです。
(このペースで行くと100城達成できるかなという感じです^^;)
松本城は好きなお城の一つです。
写真だと空気感や奥行感が今ひとつ感じられないので、やはり実物がいいですね。
訪れた時はちょうど月見櫓の修理をしていたので、シートがかかっていました。
また次回訪れる機会があれば完全な姿を見てみたいです。
最後は松本城のライトアップ
春だから寒暖の差があるのは仕方ないかもしれませんが、風邪など引かないようにお気をつけ下さい。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城04_弘前城_16 [日本100名城スタンプ]
スタンプ設置場所:天守(弘前城史料館)内
押印日:2014.5.8
いつのまにやら4月に入り、ソメイヨシノも満開。
あれよあれよと今年も3ヶ月経ってしまいました。
なかなかブログも更新できず、ずるずると時間だけが過ぎてしまった感じです。
4月に入ったので少しずつアップできるようにしたいです^^;
久しぶりということもありますが、日本100名城スタンプです。
今回は弘前城です。
弘前城天守の石垣が100年ぶりに修理され、工事が約10年にもおよぶということで、急遽昨年のゴールデンウィーク明けに行ってきました。以前から一度、行きたいと思っていたのですが、桜のシーズンはかなり混むので、ちょっと外したんですが、多少は残っているかなと内心期待してたんですが、桜はほとんど残っていませんでした。
初の青森県。この時にはじめてはやぶさにも乗車しました。
しかし新幹線だと速いですね。思ったより近いと感じました。
弘前城はご存知のように東北で唯一現存する天守で、現存12天守の一つです。
「江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城として、津軽地方の政治経済の中心地となった。城は津軽平野に位置し、城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城である。創建当初の規模は東西612メートル、南北947メートル、総面積385,200平方メートルに及んだ。現在は、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ、8棟の建築と現存12天守に数えられる内の天守1棟が現存する。現存建築はいずれも、国の重要文化財に指定されている」(Wikiより)
いつも見る角度の弘前城。
屋根は寒冷地対策のため瓦でなく、銅葺きになっています。
本丸側からみるとやや印象がちがいますね。
とても簡素な造りになっています。
一説によれば幕府の目を欺くためにこのような造りをしたらしい。
やはり木造のお城RCと違っていいですね。歴史を感じます。
写真ではわかりにくいかもしれませんが、石垣が孕んでいます。
これらを今回修理し、そのために天守を本丸側に約70m曳屋して移動するみたいです。
今年の秋以降は天守のない風景が見られます。
それはそれで、珍しいということもありますね。
久しぶりのブログのアップでしたが、これからも無理せずマイペースでアップして行きたいと思いますので宜しくお願いします。
暖かくなってきたとはいえ、まだ朝晩は肌寒い日があって寒暖の差もありますので、体調を崩さないように気を付けて下さい。
本日もご訪問ありがとうございました。
日本100名城68_備中松山城_15 [日本100名城スタンプ]
スタンプ設置場所:備中松山城チケット売り場窓口
押印日:2013.11.30
今日もいい天気で過ごしやすい日ですね。
冬といっても今ぐらいの感じだと過ごしやすいです。
冬至にむかって日が一番短い時期なので、あっという間に暗くなるためか1日が短く感じます。
さて今日は岡山城の他にもうひとつ高梁市にある備中松山城にも行ってきました。
こちらは日本三大山城の一つで、現存する12天守の一つでもあります。
標高430mに建つ天守は国の重要文化財に指定され、雲海に浮かぶ天空の城としても知られています。
パンフレットによれば「鎌倉時代の延応2年(1240)に有漢郷(現在の高梁市有漢町)の地頭に任じられた秋庭三郎重信により臥牛山のうち大松山に砦が築かれたことに始まる。その後、小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化し、なかでも天正2年(1574)に起こった「備中兵乱」時は、「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれていたことが記録として残っており、臥牛山全域が大要塞となっていたことがうかがえる。
当時の城主であった三村氏が滅んだ後も、毛利氏の東方進出の拠点として、またさらに毛利氏が防長二国に退いてからも、備中国奉行として赴任していた小堀政次・政一(遠州)父子により修改築がなされるなど、備中の要衝としての役割を担う。以降、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と変わる。現存する天守は天和3年(1683)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられる。」
伯備線に乗って備中高梁駅へ。
駅から見える備中松山城天守
今回は駅から乗り合いタクシーでふいご峠まで行きました。
10分くらいで到着しました。
そこから遊歩道700mを歩くこと20分。
この遊歩道がくせもの。
この日は天気が良かったけれどダウンを着ないと寒い感じでしたが、息はあがるは、汗だくになるはで、加えて足腰がガクガクになる感じでした。(無料の杖があったのですが、ちょっとなめてました)
遊歩道入口にある立て看板。
大手門跡付近にようやくくると立て看板が
ただここからまだ天守は見えず、もう少しのぼっていきます。
大手門付近
眼下に広がる景色、ずいぶん登ってきました。
ようやく備中松山城天守とご対面。
天気がよくて本当によかった。
あの遊歩道を登ってきたからこその感動がそこにはありました。
重要文化財の備中松山城天守
天守内部
小さいけれどやっぱり木造の天守はいいですね。
こちらも現存する重要文化財の二重櫓
二重櫓と天守
帰りは行きの遊歩道ではなく別のルートがあったので、そちらから駅まで歩いて帰りました。
登りよりは楽かと思いましたが、意外と距離ありました。
結構、早歩きのつもりでしたが、1時間以上かかりました。
日頃の運動不足を痛感し、駅に着く頃にはへとへとでした。
電車の時間もあり、武家屋敷などあったのですが、見る余裕もありませんでした。
昔の人はよくあの山頂にお城を造ったものだと感心しました。
もし興味があって電車で行かれる方は行きは乗り合いタクシー、帰りは時間はかかりますが歩きで、というのがおすすめです。
往復歩いて行けなくもないと思いますが、体力に自信があればそれもありですけど。。。(自分は自信がありません)
日中は暖かくても朝晩は冷えますので、風邪など引かないようにお気をつけ下さい。
本日もご訪問ありがとうございました。
押印日:2013.11.30
今日もいい天気で過ごしやすい日ですね。
冬といっても今ぐらいの感じだと過ごしやすいです。
冬至にむかって日が一番短い時期なので、あっという間に暗くなるためか1日が短く感じます。
さて今日は岡山城の他にもうひとつ高梁市にある備中松山城にも行ってきました。
こちらは日本三大山城の一つで、現存する12天守の一つでもあります。
標高430mに建つ天守は国の重要文化財に指定され、雲海に浮かぶ天空の城としても知られています。
パンフレットによれば「鎌倉時代の延応2年(1240)に有漢郷(現在の高梁市有漢町)の地頭に任じられた秋庭三郎重信により臥牛山のうち大松山に砦が築かれたことに始まる。その後、小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化し、なかでも天正2年(1574)に起こった「備中兵乱」時は、「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれていたことが記録として残っており、臥牛山全域が大要塞となっていたことがうかがえる。
当時の城主であった三村氏が滅んだ後も、毛利氏の東方進出の拠点として、またさらに毛利氏が防長二国に退いてからも、備中国奉行として赴任していた小堀政次・政一(遠州)父子により修改築がなされるなど、備中の要衝としての役割を担う。以降、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と変わる。現存する天守は天和3年(1683)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられる。」
伯備線に乗って備中高梁駅へ。
駅から見える備中松山城天守
今回は駅から乗り合いタクシーでふいご峠まで行きました。
10分くらいで到着しました。
そこから遊歩道700mを歩くこと20分。
この遊歩道がくせもの。
この日は天気が良かったけれどダウンを着ないと寒い感じでしたが、息はあがるは、汗だくになるはで、加えて足腰がガクガクになる感じでした。(無料の杖があったのですが、ちょっとなめてました)
遊歩道入口にある立て看板。
大手門跡付近にようやくくると立て看板が
ただここからまだ天守は見えず、もう少しのぼっていきます。
大手門付近
眼下に広がる景色、ずいぶん登ってきました。
ようやく備中松山城天守とご対面。
天気がよくて本当によかった。
あの遊歩道を登ってきたからこその感動がそこにはありました。
重要文化財の備中松山城天守
天守内部
小さいけれどやっぱり木造の天守はいいですね。
こちらも現存する重要文化財の二重櫓
二重櫓と天守
帰りは行きの遊歩道ではなく別のルートがあったので、そちらから駅まで歩いて帰りました。
登りよりは楽かと思いましたが、意外と距離ありました。
結構、早歩きのつもりでしたが、1時間以上かかりました。
日頃の運動不足を痛感し、駅に着く頃にはへとへとでした。
電車の時間もあり、武家屋敷などあったのですが、見る余裕もありませんでした。
昔の人はよくあの山頂にお城を造ったものだと感心しました。
もし興味があって電車で行かれる方は行きは乗り合いタクシー、帰りは時間はかかりますが歩きで、というのがおすすめです。
往復歩いて行けなくもないと思いますが、体力に自信があればそれもありですけど。。。(自分は自信がありません)
日中は暖かくても朝晩は冷えますので、風邪など引かないようにお気をつけ下さい。
本日もご訪問ありがとうございました。