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番建68_名古屋城2_121 [番外編 建物スタンプ]

番建68_名古屋城2_121.jpg図柄:名古屋城
押印日:2011.5.19
スタンプ設置場所:どこで押印したか覚えていません。

昨日はハロウィーンでした。
町で仮装した若者たちをたくさん見ました。
ちょっとそれはどうかな?という人もいましたが楽しそうにしてました。

今回で名古屋城最後です。
この大天守の石垣のラインどこかで見たような?
そう熊本城じゃなかったか。
ということはこれは清正の手によるものなのか?

名古屋城は20もの大名家が分担して普請しましたが、大天守の石垣は加藤清正が独力で築造し、幔幕をめぐらせて他見できないように築いたといわれているそうです。
まだ城好き初心者としてはパーツの良さまでわかっていないので、もっと時間をかけていろいろとお城をめぐってみる必要がありますね。
細かいことはわかってくれば楽しみ方も変わってくるだろうし。

名古屋城3.jpg


そういえば帰り際、名古屋開府400年祭マスコットキャラクターの「はち丸」に遭遇し、一緒に写真を思わず撮っちゃいました。
その際、記念にステッカーをいただきました。
その他に「だなも」「 エビザベス」「 かなえっち」なんてキャラクターもいるんですね。

あと名古屋おもてなし武将隊っていうものもいて、ちょうどショーが終わったところで、中に織田信長らしき人がいました。(なりきってる?)
武将隊の追っかけもいるんですね。ちょっとびっくりです。
おそらく名古屋ではスーパーアイドルなんでしょうか。

しかしゆるキャラも定着したし、まだ驚くようなキャラクターには実際出会ったことはありませんが、全国にはいろんなのがあるんでしょうね。
この間のニュースだったか、情報番組で見た高知の「カツオ人間」はちょっとインパクトありましたね。

というわけで、名古屋編終了です。

さて次は。。。。


番建67_名古屋城_120 [番外編 建物スタンプ]

番建67_名古屋城1_120.jpg図柄:金の鯱
押印日:2011.5.19
スタンプ設置場所:たぶん天守閣展望台?

今日は世間的にはハロウィーン。(HRバンドか?)
いつの間にか定着した感がありますが、いつからでしょう?
自分が子供の頃はなかったけど。

さて今日も名古屋城です。
ご存知のかたもいらっしゃると思いますが、第二次大戦で焼失した本丸御殿の復元工事が一昨年から始まりました。
現在、工事の関係で見学できない日もありますが、木材加工場と原寸場が見学できるようになっています。
時間的にぎりぎりでしたが、木のいい香りがする加工場で刻みを行っている職人さんをはじめ、原寸図をみることができました。
原寸図は写真だとわかりにくいですけど、あれから5ヶ月以上経った今はかなり工事は進んでいることでしょう。
原寸図.jpg

こちらは剣塀というもので写真だと分かりにくいですが、、影がでているので何となく分かるかな?
軒桁のところに30cmほどの槍の穂先を並べて忍び返しとして使われたものだそうです。
剣塀.jpg

ホームページを見ると本丸御殿の復元は3期に分けて工事しているようで、出来たものから随時公開していくようですね。最終的に全体を公開できるのは平成30年度というスケジュールになってました。
しかし随分先です。
まあそれだけ大掛かりな工事をしているということなので、完成したらぜひ見に行きたいものです。

つづく。。。

番建66_犬山城3_118 [番外編 建物スタンプ]

番建66_犬山城_118.jpg図柄:犬山城
押印日:2011.5.19
スタンプ設置場所:さてどこで押印したか?

形は丸や正方形といった一般的なものではなく、今までの中ではイレギュラーの横長の長方形。
しかし今日のスタンプは裏のインクがしみ込んでしまって見苦しいですが、ご勘弁を。
まだこの時期は手帳に押印していてコレクトしようなどと思っていなかったので、表裏ともにスタンプを押印してしまい、あとから見返すとインクがしみ込んでしまっているものがあり、これまでにも紹介できていないスタンプも結構あるんです、じつは。

それはさておき、やっぱり木造のお城はいいですね。
歴史の深みを感じます。
犬山城5.jpg

天気もよく、見晴らしは最高でした。
犬山城6.jpg

犬山城7.jpg

犬山城はつい最近まで、日本で唯一の個人所有の城だったということを今更ながら知ったが、よくぞ残してくれたという感じだ。
しかし4階高欄の間の回廊の床板の隙間が結構あって、ちょっとゾクッとしましたが、それも木造のお城の良さなのかな。
さてこれで一応、この犬山城で四大国宝城はすべて登閣したのだけれど、松本城は登閣したといっても小学生だったし、行ったことは記憶にあるけれど、よく覚えていないことも確かだ。当然、100名城スタンプを押印しにいかなくてはいけないので、機会を見つけて長野方面の城攻めしたいと思っています。

続く。。。


番建65_犬山城2_117 [番外編 建物スタンプ]

番建65_犬山城_117.jpg図柄:犬山城 登閣記念
押印日:2011.5.19
スタンプ設置場所:たぶん100名城と同じだったような?

スタンプは犬山城ですが、まずはその前に立ち寄った有楽苑です。
有楽苑の由来となった織田有楽斎は信長の実弟で茶の湯の創成期に尾張が生んだ大茶匠だそうです。
苑内には国宝の如庵をはじめ、重要文化財の有楽斎の隠居所であった旧正伝院書院、有楽斎が大阪天満に構えた茶室を復元した元庵、そして新築された茶席の弘庵が建っています。
有楽苑1.jpg

国宝茶室如庵。
かつては京都建仁寺正伝院の境内にあり、明治以降、各地を転々とし昭和47年(1972)に現在地に移築されたそうです。
パンフレットによれば「元和4年(1618)ころ建てた茶室であり、現存する国宝茶席三名席の一つとして茶道史上貴重な遺構である」とあります。
ちなみに国宝茶席三名席というのは京都山崎妙喜庵の待庵、大徳寺龍光院の蜜庵、そしてこの如庵をいうそうです。

国宝茶室如庵.jpg

ちょうど新緑の季節だったので思わず撮ってしまいました。
新緑.jpg

つくばい1.jpg

つくばい2.jpg

いつもスケジュールが盛りだくさんなので、時間を気にしながら有楽苑をあとにし、目指すは目の前の犬山城。
犬山城3.jpg

写真で見ていたものもそう思っていたけれど、やはり実物も髭をはやした顔に見えますね。
犬山城4.jpg

なぜかトランスフォーマーをイメージしてしまいます。

続く。。。


番建64_岐阜城2_115 [番外編 建物スタンプ]

番建64_岐阜城2_115.jpg図柄:岐阜城 織田木瓜
押印日:2011.5.19
スタンプ設置場所:岐阜城資料館入口

今日のスタンプは織田家家紋の五瓜に唐花、いわゆる織田木瓜に岐阜城と書かれたスタンプ。
木瓜一つとってみても数多く、バリエーションも豊富なので、家紋というのはよくわかりませんね。
この織田木瓜は有名ですが、その他にも桐紋や平家の揚羽蝶などの家紋を使っていたようなので、最終的には自分が気に入ったものを使用していたのでしょうか?
昔は代々の家柄を表する家紋もあるので、勝手には変えたり、使ったりすることはできなかったでしょうが、現代はそれほどこだわりもなく、デザインが気に入ればその家紋を使うという話も聞きます。
しかしそういう自分も自分の家紋が何かはっきりしないのですが。。。
今度調べてみようかな!

岐阜城4.jpg

岐阜城5.jpg


軒丸瓦は織田木瓜になっていました。岐阜城はやはり織田信長の城ということなのでしょうか。
ちなみに斎藤道三は二頭波という家紋です。

家紋も気になり出すと切りがないのですが、小さい頃からみて知っている一番有名な家紋といえば「この紋所が目に入らぬかー」の徳川家の三葉葵。
実は時代劇もよく見てみると脇役の与力や大名役の方もいろいろな家紋をつけていることに気づきます。はっきり映らないので、分からない場合がほとんどですが、ときどきアップで映ることがあると、思わず、何紋なのか調べてしまいます。

細かいことですが、こうした家紋からも歴史をひも解いてみるというのもなかなか面白いし、まだまだ知らない世界がたくさんあるもんです。

続く。。。。



番建63_岐阜城1_114 [番外編 建物スタンプ]

番建63_岐阜城1_114.jpg図柄:岐阜城天守閣
押印日:2011.5.19
スタンプ設置場所:岐阜城資料館入口

山頂駅でロープウェイを降りると、そこには天守閣と思いきやリス村が。
目的の天守閣はまだ上に。
坂道を、階段をのぼり、ようやく天守閣へ。
途中、新緑がきれいでしたが、蜂も活発に活動していらっしゃいました。

現在の天守閣は昭和31年に鉄筋コンクリート造で建てられた3層4階建ての模擬天守。
内部は史料展示室、楼上は展望台になっています。
岐阜城はその昔、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政が金華山山頂に砦を築いたことが始まりとされ、戦国時代には斎藤道三が居城としたが、天下にその名が知れ渡ったのは織田信長が1567年にこの城を攻め落とし、「井の口」と呼ばれた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めてからだそうで、いろいろ説はありますが、織田信長が「岐阜」と命名したことは一つの通説となっています。


岐阜城2.jpg
岐阜城3.jpg


現在文化財として見ることが出来る天守は12城の天守です。
したがってほとんどが復元、復興もしくは模擬天守になります。
岐阜城は先に模擬天守と書きましたが、実際は明治43年に建てられた木造3層3階の模擬天守が、昭和18年に焼失しているので、模擬再建天守ということになります。

「歴史人」の7月号に岐阜城がCGで再現されていて、それと現在のものと比べると随分と違っていることが分かります。そのCGも実際とはまた違うとは思いますが、想像力をかき立ててくれます。

しかし戦のためのお城を今では文化財や観光施設として見ることが出来るというのは平和な世の中という証拠ですね。

続く.....。



番建61,62_弘道館2_109,110 [番外編 建物スタンプ]

番建61_弘道館3_109.jpg
番建62_弘道館4_110.jpg図柄:左 游於藝 右 漫遊いばらぎスタンプラリー弘道館
押印日:2011.3.3
スタンプ設置場所:弘道館事務所

内部の写真がなかったのでたぶん撮影禁止だったのだろう。
正庁と至善堂を見た記憶があるのだが、あまり詳細を覚えていない。記録として写真があればなんとなく思い出されるのですが。
畳縁が葵の紋になっていたりするのですが、見て廻っているときは気づかなかった。
こういう場所に来るときはもっと時間的に余裕を持ってきたほうがいいといつも思うのですが、いろいろ見てまわりたいと思う気持ちが.....。

左のスタンプは「游於藝」と読みます。
実際に、斉昭書の扁額が正庁にあります。
弘道館館内案内シートによれば「「游於藝」は、『論語』の一節「子曰 志於道 據於徳 依於仁 游於い藝」(子曰く 道に志し 徳に拠り 仁に依り 芸に遊ぶ)による。「芸に遊ぶ」の芸は六芸、礼(礼儀作法)、楽(音楽)、射(弓術)、御(馬術)、書(習字)、数(算数)をさす。文武にこりかたまらず、悠々と芸を究めるという意味」とあります。

正庁の奥にある至善堂は明治元年に最後の将軍徳川慶喜公が謹慎された部屋としても有名だそうです。

弘道館.jpg

弘道館2.jpg


現在は震災の影響で中に入れませんが、1日も早い復興を願うばかりです。


番建59,60_弘道館1_107,108 [番外編 建物スタンプ]

番建59_弘道館1_107.jpg番建60_弘道館2_108.jpg図柄:左 弘道館 右 八卦堂 要石歌碑 正門
押印日:2011.3.3
スタンプ設置場所:弘道館事務所

ちょうど東日本大震災が発生する8日前にちょっと「梅を見にいこう!」と思い、茨城県水戸に行きました。まずは句にの特別史跡になっているほか、重要文化財に指定された建物のある弘道館公園へ向かいました。
ご存知のように震災でかなりの被害が出て、震災後7ヶ月経ってようやく庭園部分のみ一般公開されるようになりましたが、現在もなお建物内には入れない状況が続いているようです。
左のスタンプの押印は見事に失敗です。弘道館の館の文字が上手く押されていません。当時はあまりきれいに押すということを意識していなかった証拠です。

震災前の弘道館正門
弘道館正門.jpg

梅はまだ5〜6分咲きぐらいだったと記憶しています。
翌週ごろ見頃かなあなんて、当時は思っていました。
弘道館梅.jpg





番建58_江戸東京博物館_106 [番外編 建物スタンプ]

番建58_江戸東京博物館_106.jpg図柄:ギボちゃん
押印日:2011.3.5
スタンプ設置場所:江戸東京博物館常設展示

図柄にある「ギボちゃん」は江戸東京博物館開館10周年を記念して誕生したキャラクターだそうで、そのデザインと名前からも想像できるように欄干の擬宝珠の親柱をしメージしたものです。
日本橋生まれの両国育ちの男の子、性格は天真爛漫でふだんはおっとりしているが、アウトドア好きで行動派、趣味は御輿担ぎ、スノーボード。好きな食べ物は人形焼き、みみずくどら焼き、オリジナルクッキーという設定。
ツイッターでもつぶやいている。
いつの間にこんなキャラクターが。前に来たときはそんなもんなかったような気がするのですが....。
平成15年誕生?
そんな久しぶりの訪問?確かに常設展は久しぶりだったような気がする。

それはさておき、このときは常設展内で開催されていた企画展の「140年前の江戸城を撮った男 横山松三郎」展が主な目的でした。
写真は絵と違って、リアルな空間がそこに表現されているせいもあって、自分がまるでタイムトリップしたかのような錯覚を覚える。

確かにそこには140年前の江戸城がありました。

江戸東京博物館.jpg


江戸東京博物館ジオラマ1.jpg


江戸東京博物館ジオラマ2.jpg


常設展の中では江戸の町を再現したジオラマが好きです。
ひとりひとりの表情やしぐさが豊かに表現されていて当時の江戸の町や江戸っ子の生活が手に取ってわかります。細かいところもしっかり作り込んでいるので、見ていて飽きませんね。

時々、ちょっと行ってみるかぁと思う施設の一つです。




番建57_深川江戸資料館_104 [番外編 建物スタンプ]

番建57_深川江戸資料館_104.jpg図柄:江戸深川の街並
押印日:2011.2.5
スタンプ設置場所:深川江戸資料館

今回は深川江戸資料館です。
ここは以前から一度来てみたかった場所の一つ。
地下1階から地上2階までの三層吹抜けの空間に江戸時代の深川の町を再現しています。
大きな資料館ではありませんが、よく見るといろいろな発見があります。
ここで見つけたものの一つにお休み処の床几の上に置いてあった「煙草盆」です。
最初は何だろうと思ったのですが、家で調べて「煙草盆」だとわかり、時代劇をよくみるとちゃんと小道具として置いてあるのに気づきます。
何気なく見ているものも、わかって見ると意外と面白い発見があるもんです。
深川江戸資料館.jpg

当然、お昼は深川江戸資料館の目の前にある「深川宿」さんで念願の深川めしをいただきました。
漁師さんたちの知恵から生まれた食べ物だけあって、栄養価満点でボリュームのある食べ物でした。
お腹いっぱい江戸の味を味わうことができましたぁ。
深川めし.jpg





番建56_駿府城巽櫓_103 [番外編 建物スタンプ]

番建56_駿府城巽櫓_103.jpg図柄:駿府城二の丸東御門巽櫓
押印日:2011.1.29
スタンプ設置場所:駿府城巽櫓

今回は時間の関係で、紅葉山庭園を見ずに巽櫓のみの見学に。
写真の一番左側に建っているのが巽櫓。全国でも例の少ないL字の平面の櫓だそうです。
この巽櫓は寛永12年(1635年)に天守閣、御殿、東御門などとともに焼失し、同15年に再建されましたが、1855年に起きた安政大地震によって全壊したと考えられています。現在復元されたこの二の丸東御門や巽櫓は寛永年間の再建時の姿を復元したものらしいです。
ちなみに後ろに見える高層の建物は静岡県庁別館だそうで、東海地震等に備えて災害対策本部の機能を持つ施設だそうです。
安政年間は日本で大地震が発生した時代だったそうです。
今回の東日本大震災からちょうど7ヶ月経ちましたが、復興が進むにつれ、被災地以外ではその記憶も薄れがちですが、過去の歴史からもまだ安心できない状況にあることは忘れてはいけないですね。
駿府城巽櫓.jpg
家康と慶喜.jpg駿府城をあとにして、静岡市美術館で開催中の会期末目前の「家康と慶喜 徳川家と静岡展」に足を運びました。

個人的には家康よりも慶喜の方の展示内容が記憶に残っています。
徳川慶喜は「けいき様」と呼ばれ、将軍職を辞任したあと、30年間静岡で鷹狩、投網、狩猟、写真や油彩画など幅広い趣味を持った隠居生活を送りました。
中でも慶喜の達筆なのには驚かされました。

屋敷跡は現在、静岡駅の目の前の「浮月楼」という懐石料理店になっています。

いつか行ってみたい場所のひとつです。


番建55_久能山東照宮_100 [番外編 建物スタンプ]

番建55_久能山東照宮_100.jpg図柄:久能山東照宮
押印日:2011.1.29
スタンプ設置場所:久能山東照宮?

なんだかんだで番外編ではありますが、100個目のスタンプです。
多分東照宮側のロープウェイ乗り場ではないかと思われますが、押印した場所の記憶があいまいです。
小学生以来だと思うけれど、もっと質素なイメージがどこかに植え付けられていて、意外と派手な建物に内心驚きました。
久能山東照宮楼門.jpg

こちらが昨年末国宝に指定された社殿。
江戸時代を代表する大工頭、中井大和守正清の手によって造営された最後のものだそうです。
日光をはじめ、全国につくられた権現造りの東照宮は久能山東照宮が原型とされました。
しかしこんな派手な印象がなかったのは、最近塗り替えや修復がなされたためだろうか?
久能山東照宮社殿.jpg

境内の一番奥までいくと重要文化財の神廟があります。
これは家康公が埋葬された場所に立つ廟で、現在は三代将軍家光公によって建てられた高さ5.5mの石塔が、家康公の遺命で西向きに建てられています。
久能山東照宮神廟.jpg

久能山東照宮唐門.jpg家康手形.jpg
楼門のところには意外と小柄な方だった家康公の手形がありました。
こういうのがあると、なぜか手を合わせてみたくなります。
家康公ガンダム.jpg

境内内に家康公ガンダムがありました。
ご当地ものなのか、全国区のものかわかりませんが、さすがバンダイがある静岡ですね。
駿河湾.jpg

一ノ門から眼下を見下ろす。
下に見えるビニールハウスは久能石垣いちごのハウスです。
実はここまで上がるのに表参道石段があります。
ロープウェイが開通するまでは1159段の階段が参拝ルートでした。
ここから見る景色は絶景だけど、参拝は大変だったでしょうね。
今でもこちらのルートからの参拝客はいるみたいだし、たしか関係者は今でもこちらから上ってくるのかな?
時間の関係でゆっくりとできませんでしたが、2015年(平成27年)には御鎮座400年を迎えるのでまた訪れてみたいですね。




番建54_旧マッケンジー邸_098 [番外編 建物スタンプ]

番建54_旧マッケンジー邸_098.jpg図柄:旧マッケンジー邸
押印日:2011.1.29
スタンプ設置場所:旧マッケンジー邸

今年の1月に静岡にあるヴォーリズが設計した旧マッケンジー邸を訪れました。
スタンプがあるか探してみたらあるではありませんか。
文字が潰れて見にくいですが、かわいらしいマッケンジー邸をかたどったスタンプがありました。
この住宅は1940年(昭和15年)に建てられた海岸沿いに建つ洋館で木造2階建て、地下1階の塔屋付きの建物で、国登録有形文化財となっています。
静岡県内に戦前建てられた洋風住宅の中で、唯一現存する建物だそうです。
今は静岡市の施設として無料開放しています。

旧マッケンジー邸外観.jpg
柱はニカワで張り合わせた集成材を使っているそうで、接着剤の発達していない当時としては画期的な技法を使って建てられた住宅です。
旧マッケンジー邸食堂.jpg

旧マッケンジー邸浴室.jpg旧マッケンジー邸階段.jpg
階段を上って行くと塔屋部分に出ます。ここはご夫婦が星空を見るのが好きだということで展望台の役割をしたそうで、造り付けベンチもありました。
海沿いに建っているので星空もきれいに見れたのではないでしょうか。
家にこういうちょっとした空間があるのは贅沢な感じがしますね。




番建53_鉄道博物館_097 [番外編 建物スタンプ]

番建53_鉄道博物館_097.jpg図柄:鉄道博物館来館記念 鉄道博物館ロゴ
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:鉄道博物館入口付近

昨年末に初めて行った鉄道博物館。
近くにもかかわらずオープンして3年以上経ってからの初訪問でした。
このときの目的は「御料車〜知られざる美術品〜」という開館三周年特別企画展に行くためで、御料車の展示もあり、日によっては近づいてみれるようでしたが、照明が暗すぎて中の様子が肉眼ではほとんどわかりませんでした。企画展の方はいろいろと展示されていていたのですが、やっぱり車両内部がよくみれなかったのは残念でした。

しかし鉄道博物館の館内は思った以上に広く、ヒストリーゾーンにある本物の車両やその中央にあるC57が汽笛を合図に転車台が回転し始めたり、巨大なジオラマがあったりで、大人も充分楽しめる内容になっていて、いつも混雑しているのがわかるような気がしました。

改めて普段あまり見ることがない地上からの目線で見る電車たちの大きさには圧倒されますね。
そのせいでしょうか自然とテンションもあがってくるのは。
鉄道博物館1.jpg


たぶんこれはマイテ39形式客車 車号マイテ3911?の車両だったと記憶していますが自信はありません.....。
思わず999を思い浮かべてしまった記憶はあるのですが。
鉄道博物館2.jpg


中学生の時に鉄道模型に一時、はまった時期がありましたが、これだけ大きなジオラマを見るのは初めてでした。しかし見ていて飽きませんね。
当時から個人的にはEF65がお気に入りです。

鉄道博物館ジオラマ.jpg


訪れたときは年末ということもあっていつもよりは比較的空いているほうでしたが、また機会を見つけてゆっくり見て廻りたいですね。




番建52_横浜赤レンガ倉庫_096 [番外編 建物スタンプ]

番建52_赤レンガ倉庫_096.jpg図柄:横浜赤レンガ倉庫
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:横浜赤レンガ倉庫

横浜編の最後は横浜赤レンガ倉庫です。
現在はきれいに整備され、一大観光スポットになりましたが、世代的に横浜赤レンガ倉庫と聞くと”あぶない刑事”を思い浮かべてしまいます。

10年ぐらいではあまり変わったと思わない街も20年以上経つとかなり変わりますね。
年をとる意味が最近、なんとなくわかるようになってきました。

赤レンガ倉庫.jpg


赤レンガ倉庫に寄る前に、休憩がてらお茶しようとホテルニューグランドの「The Cafe」に。
ホテルニューグランドといえば池波正太郎。
プリン・ア・ラ・モード、シーフードドリア、ナポリタンの発祥の地といったところでしょうか。
ここも建っているのは知っていましたが、中に入るのは初めてでした。
今度は泊まりにきてみたい。
The-Cafe.jpg

本館は1927年に開業、銀座の和光や東京国立博物館本館なども手がけた渡辺仁の設計による建物でクラッシックホテルとしても有名です。
ホテルニューグランド内部.jpg


みなとみらい夜景1.jpgみなとみらい夜景2.jpg
横浜編最後はみなとみらいの夜景で締めくくり。

さて次は....。




番建51_横浜マリンタワー_090 [番外編 建物スタンプ]

番建51_マリンタワー_090.jpg図柄:マリンタワー
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:マリンタワー1F

港の見える丘公園から元町方面へ下り、次に向かったのは横浜マリンタワー。
こちらも十数年ぶり(よくよく思い出してみると20年ぶりぐらいになるかも)に来た。
一時、営業を終了していたマリンタワーは2009年にリュニーアルオープンン。
横浜開港100周年記念事業の一環として計画され、1961年開業し、今年で開業50周年を迎えました。
以前のマリンタワーにはたしか、オウムやインコやらがいた鳥類園やおもちゃが展示してあったものがあったように記憶してたが、すっかりイメージチェンジしていたのには驚いた。

スタンプは1Fで押印、実は29Fの展望フロアで同じ柄の色がゴールドのスタンプを押印したのですが、スキャンすると色が飛んでしまったので紹介できませんでした。

マリンタワー1.jpg

マリンタワーから下を見る.jpg

しかし天気がいいと気持ちいいだろうなと思う景色を見ながら、今度はぜひ天気のいい日にと、思うのであった。
ベイブリッジ.jpg

大桟橋.jpg

氷川丸.jpg

山下公園.jpg

中には変わってないものもあるのだが、だいぶこの20年で景色が変わったように感じられた。
その街の変化をみて、あらためて時間の経過も感じた。

年とったなぁ〜。




番建50_山手111番館_089 [番外編 建物スタンプ]

番建50_山手111番館_089.jpg図柄:山手111番館
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:山手111番館
さて横浜山手の西洋館シリーズも今回まで。
最後は横浜市イギリス館のすぐ近くに建っている山手111番館です。
この建物もベーリック・ホールを設計したJ.H.モーガンの手によるものです。
1926年(大正15年)に現在地に建てられたそうです。
今回は石川町からのルートでまわってきましたが、元町・中華街からのルートだとこの建物から見て廻ることになると思います。
この建物はハンガリーにちなんだ飾り付けでした。

山手111番館1.jpg


山手111番館2.jpg山手111番館3.jpg

意外と近くまで来てはいたが、今回初めて横浜山手の西洋館をめぐることができました。
これも長崎へいったことがキッカケで、横浜に残る西洋館をちゃんと見たことがないということに気づいて、ようやく実現したことでした。

今回はとにかくあまり天気が良くなく、曇天で冬だったということもあって緑が少なく、かわりにクリスマスのデコレーションがなされていても、あまり写真に撮らなかったので全般的にちょっとさびしい写真になってしまいました。

でも次回は天気がいい時にお散歩したいなと思わせる西洋館巡りでした。

横浜編はあともう少し続きます.......。




番建49_横浜市イギリス館_088 [番外編 建物スタンプ]

番建49_横浜市イギリス館_088.jpg図柄:横浜市イギリス館
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:横浜市イギリス館
山手十番館を過ぎ、外国人墓地を左に右に曲がると正面に見えてくるのが、港の見える丘公園。
次はそのほぼ中央に建つ横浜市イギリス館です。
幕末から明治初期にかけてこの辺にイギリス軍が駐屯し、その跡地に1937年(昭和12年)、英国総領事公邸として大英工部総署の設計によって建てられた地下1階、地上2階建てのRC造の建物です。
デザイン的にはほぼシンメトリーなファサードでシンプルモダンな印象の建物になっていて、今回見てきた山手西洋館の中では好きなデザインかな。

1969年(昭和44年)に横浜市がこの建物を取得したあとは、市民利用施設として使われ、1990年(平成2年)には横浜市指定文化財になり、平成14年(2002年)から一般公開されました。

十数年ぶりに港の見える丘公園に来たので、どおりでこの建物の記憶がなかったのは当時はまだ一般見学が出来ない建物だったからなのだろうか。

横浜市イギリス館1.jpg

両サイドの丸窓がデザインのアクセントになっています。
横浜市イギリス館2.jpg


時間とともに街の風景は変わる。
十数年ぶりの港の見える丘公園から見る光景はまったく違って見えたが、当時の感受性と現在の感受性も違う。また人の記憶というのも曖昧なのであまりあてにならない。
したがって時代によって変わるかもしれないけれど、見える光景は実はあまり変わっていないのかもしれない。
ここはイギリスだけにイギリスにちなんだ飾り付けでした。




番建48_山手資料館_087 [番外編 建物スタンプ]

番建48_山手資料館_087.jpg図柄:山手十番館 山手資料館 外国人墓地
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:山手資料館

山手234番館の一軒はさんだ隣には横浜山手公会の建物が建っていて、この建物はベーリック・ホールを設計したJ.H.モーガンによるものです。
ちなみに横浜山手公会の角を曲がって行くとテレビでもおなじみに北原照久さんのブリキのおもちゃ博物館があります。
そして横浜山手公会の道をはさんだ隣地に山手資料館が建っています。
この建物は1909年(明治42年)に本牧に建てられたものを1929年(昭和4年)に横浜・諏訪町に移築、その後1977年(昭和52年)に現在地に再移築された建物だそうです。
横浜に現存する明治期の唯一の木造西洋館でもあります。
現在は開港当時の資料等を展示する資料館として公開されている建物です。
「コクリコ坂から」の映画を見た時、主人公の海が住んでいる家を見た時にまず思い浮かんだのが、この山手資料館でした。

山手資料館1.jpg

山手資料館2.jpg山手十番館.jpg
右側の写真にある建物が山手十番館で、明治100年祭を記念して昭和42年に建てられたカフェ&レストランです。山手資料館はこの敷地内に建てられています。時間の関係上、ここには立ち寄りませんでした。次回は少しゆっくりお茶でもできたらなぁなんて思っています。
また目の前は外国人墓地になってます。ちなみにJ.H.モーガンはここに眠っていますし、外国人墓地の門の設計も行なっています。
山手聖公会.jpg

これは横浜山手聖公会。

山手地区でもこの界隈に集中して西洋館が建っていますので、往事の横浜の雰囲気を感じながらまち歩きが出来ると思います。




番建47_山手234番館_086 [番外編 建物スタンプ]

番建47_山手234番館_086.jpg図柄:山手234番館
押印日:2010.12.21
スタンプ設置場所:山手234番館

エリスマン邸の斜め前に建つ山手234番館。
この建物は昭和2年(1927年)頃に外国人向けの共同住宅として昭和50年代頃まで使用されていたようです。平成元年に横浜市が取得、保全改修工事を経て、平成11年(1999年)から一般公開されました。
当初は4戸1の重層長屋の住戸形式で3LDKの間取りだったそうです。設計は隣接して建っている山手89−6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵。
現在は横浜市認定歴史的建造物に指定され、1階は山手地区の洋館のパネル展示がなされた総合案内、2階は貸し出しスペースになっていて、ギャラリー展示や会議等に利用できるようになっています。
ここはポーランドにちなんだ飾り付けでした。

山手234番館.jpg


こちらは隣接して建っている洋菓子店の「えの木てい」。
赤い窓枠がアクセントになっていてキュートな建物です。
残念ながら、今回は時間の関係上、立ち寄らずに外観のみでしたが次回は中で休憩したいですね。
こちらも山手234番館と同様に昭和2年に建てられましたが、現役として使用されています。
えの木てい.jpg

その他に元町公園のエリスマン邸の裏には関東大震災で倒壊した鉄筋補強レンガ造3階建て住宅の当時の生活を知る貴重な遺構があります。
ブラフ80メモリアルテラス.jpg

スタンプを押印することもさることながら、山手地区の洋館は見所たくさん。
もうしばらく続きます。




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